大人になると誰も叱ってくれない


霧の森@台湾


 先日とある研究会で、ベンチャー企業の若手社員(自分よりも年下)による自社紹介の発表を聞いたのだけど、なんか偉そうだった。周知の事実や根拠の薄いことを、自分のほうが良く知っているかような物言いで自信満々に早口で話し続ける。僕は途中から耳が痛くなってスマホをいじり始めたし、周りもそうしていたようだった。質疑応答では誰一人として質問をしていなかった。
 会場の大多数を占めていた僕よりも歳を重ねた聴衆にとっては、これは単なる「時々いる偉そうな意識高そうな若者」であって、珍しいものではなかったのだろう。だけど、僕はこの人のことが(発表内容は全く頭に残ってないけど)、とても印象に残った。自分にとってはまだ珍しい年下の社会人の発表者だったことや、本人には悪気が無く一生懸命発表しているように見えたこともあるのかもしれない。どのような背景が「偉そうな意識高そうな若者」をつくりだしているのだろう。僕はその後もあれこれと考えずにはいられなかった。

「自分を良く見せる」ことを良しとする教育

 「偉そうな意識高そうな若者」をそうたらしめているのは、「客観的に話すことより、自分を良く見せることに重きを置いている」ことだと思う。僕はこの背景に「良い子を目指す教育システム」があると思う。日本における高校生くらいまでの人生で、自己承認欲を満たしてくれるのは親と先生と友達の3者だ。その中でも大人(親と先生)から承認してもらうためには、マナーを守り、ルールを守り、勉強して、部活して・・・という良い子を演じる必要がある。大人側も、そういう模範的な子を褒めて伸ばす。そして「自分を良く見せることで大人に認められて成功する生態系」が出来上がる。そこで子供時代のほとんどを過ごすことで、大人に自分を良く見せることが無意識的にできるレベルに染みついた人間が量産される。その勢いのまま、自分自身が大人になり、親や先生がいなくなってもそれを止められない、というのが「偉そうな意識高そうな若者」の正体なのではないだろうか。特に、「褒められる⇒成功する」というサイクルを絶やすことなく大人になれた「育ちが良くて高学歴の人達」はこういう傾向が強いと思う。

大人になると叱ってくれる人がいなくなる

 自分が大人になることで怖いのは、「褒めてくれる大人がいなくなること」よりも「叱ってくれる大人がいなくなること」だ。冒頭の発表の場でも、質疑応答の時間に誰も手を挙げなかったことが、僕は怖かった。もし彼が高校生であれば、「もう少し落ち着いてゆっくり話して、言葉遣いも少し相手に気を遣ったほうがいいよ」くらいのアドバイスを先生から受けたことだろう。だけど彼は発表について何のフィードバックを受けることもなかった。別の場所で同じような発表を繰り返すことになるかもしれない。あの場で、彼に「偉そうだな」という感想を持った人は他にもいたはずだ。だけど、誰もそれを口にしなかった。誰もそれを彼に指摘する義理は無いし、「どうでもいい」からだ。大人になれば、よっぽど迷惑になることをしない限り、人に叱られることは無い。自分を客観的に見て方向性を修正するのは、ものすごく難しくなる。

「良い子」の存続に最適化されたインターネット

 この傾向に拍車をかけているのがインターネットの登場だと思う。「個人が相手の顔を見ずに発信できるようになった」ことによって、「良い子」を続けるのはますます容易になっているように感じる。
 「自分を良く見せたい」という人にとって必要なのは、「他人の評価」であって「他人そのもの」ではない。だからブログやSNSのように、個人が不特定多数に発信できるシステムはとても合理的だ。相手がどう感じるかや、相手の知識レベルがどの程度かを深刻に考えることなく自分の言いたいことを発信できる。そこに返ってくるコメントでは常に自分の話題の中心軸にあり、相手に話題を持っていかれたり、相手に合わせたりする必要もない。しかも、興味が無い人はそもそも何の反応も返してこないので、基本的にネガティブな反応を目にすることは少ない。まさに自分の承認欲求を効率的に満たすことができるように進化したツールだ。
 ネット登場以前、対面のコミュニケーションしかなかった時代は、相手が自分より知識レベルが高いことに気づいて自分の意見を引っ込めたり、同意できない相手の率直な批判の意見を受けたりする機会もまだ多かったはずだ。インターネットの登場によって、ただでさえ少ない「大人になってから自分を見直すチャンス」を得るのがますます難しくなっているのではないか。そして、批判的フィードバックを受けることがないネット上のノリのまま、対面のコミュニケーションに臨んでしまうケースが増えているのではないだろうか。
 あとこれは少し別の話だけど、ネットの登場で「知識の受け売りがしやすくなった」という点も「良い子」の寿命を延ばすことに一役買っているように思う。昔は「外面だけで中身ないよね」といって見破られていたケースも、「Googleで入手した情報を自分の意見のように発信する能力」を人々が獲得するにつれて、だんだん少なくなってきているのではないか。余談だけど、コンサルで働いていた経験から言うと、Googleの登場によって知識格差が無くなった今、「一次情報の価値」はますます高まっているように感じる。「調べれば分かること」と「この人にしか分からないこと」を区別して受信するリテラシーは今後もっと一般的になるだろうし、そうなっていくべきだと思う。


 だらだら書いたけど、自分を良く見せることが悪いと思っているわけではない。情報があふれる中で潰されないようにするためには、アピールは必要だ。言いたいのは、冒頭に書いたような「偉そうな意識高そうな若者」が、叱られて自分を客観的に見直すことができるチャンスが少なくなっているのではないか、ということだ。若い間は「ウザいなぁ」で済まされるのかもしれないが、そのまま歳をとってしまうと、ますます叱ってくれる人が少なくなってフィードバックが効かなくなるし、権力を持ち始めると面倒くさいことになる。ある日突然、取り返しのつかない炎上に発展するかもしれない。これは本人にとっても不幸なことだ。

本題

 と、粗末な議論をしたけど、実は冒頭の発表の話が印象に残ったのは、何を隠そうこれが自分にそっくりでは感じたからだ。偉そうな鼻につく話し方、落ち着きのない早口、とにかく自分事感が半端なく、聞いていて自己嫌悪しかなかった。
 会社員の時に行ったあるプレゼンを思い出した。聴衆は50人以上いて、ほぼ年上。相手は全員業界のプロで、こっちは雇われ調査会社として数か月その業界のことを調べただけだ。とても知識で相手に叶う訳ない。だけど調査の結果を発表しなければならない。こういう時の最適戦略は「とにかく客観に徹する」ことだ。主観を混ぜる余地は一切ない。だけどその時の僕はまだ未熟がゆえ、ストーリーを上手く作って、発表をきれいに見せることに労力を割きすぎた。発表直後に、自分でも「大失敗」と感じた。自説を展開することに必死になりすぎて時間がなくなり、最後は客観的に説明すべき部分もきちんと説明できなかった。後日、聴衆のアンケートの結果が返ってきた。「まあまあ」の評価がほとんどで、概ね無記入の自由記述の中に、いくつか「早口すぎる」というフィードバックをくれた人がいた。
 ・・・・・ただ、それだけの話なのだけど、このダメージはでかかった。あれだけ酷い発表だったのにほとんどの人がサイレントだった。だけど数人が「早口すぎる」と書いたということは、もっと多くの人がそう感じていたはずだし、書いてくれた数人は我慢ならないから書いたわけで、本当は「偉そうで早口で聞くに堪えない発表でした」という感想を書いていてもおかしくなかったはずだ。被害妄想なのだろうけど「大人になってから率直に意見を貰うことって本当に無いんだな」ということを強く感じた出来事だった。
 だから今、人前で自信満々に研究の話をしている自分が怖い。多少は面白がってくれる人がいることに安心できるけど、叱ってくれる人がいないことには安心できない。自分がやっていることはどれくらいアピールしていいレベルのことなのだろうか?世の大人たち、とくに科学者は、胡散臭いものを嗅ぎ分ける能力は一級だ。もしかしたら自分も「大したことないことを偉そうに語っている胡散臭いヤツ」になっているかもしれない。だけどそうだとしても、誰もそれを教えてくれないだろう。世の中は想像以上に自分に興味が無いのだから。そしてそう考えること自体、自分の自意識過剰な素性を表す自己矛盾であり、苦しみを増幅させる。
 先日ちょこっとこの日記がネット界隈で話題になった時は、率直な否定的意見もいくつかあってとても参考になった。やはり、自分の立ち位置を客観的に見るためには、否定的な意見が不可欠だ。大人になると、自分を叱ってくれる人が本当にいない。ネガティブな意見をビシバシ言ってくれる人がいて欲しい。でもそんな人、いるのかな。できることなら、5年後くらいの自分に今の自分をボコボコに頭ごなしに否定されてみたい。何を言われるのだろうか。それでも「今のままでいいよ」とか言われそうで怖い。

生活がゆっくりになってきた


紅葉の時期に瀬田川上空に現れるビームの正体@石山寺

 どんなに意思が強い人間でも、周辺環境から受ける影響というのはとても大きくて、「慣れる」というのは怖いことだと思う。会社を辞めて大学院生として研究に戻ってきてすぐの頃は、仕事に対するスピード感や金銭感覚の、前の環境とのあまりの違いに戸惑ったり苛立ったりすることが多かった。前の会社で「終わるわけない、意味が分からない、物理的に詰みでしょ、ふざけるな」とかいいながらも無茶苦茶なスケジュールで体が壊れる寸前まで働いて何とか1週間で仕上げていたような量の仕事に、今の環境では1か月とかかけても怒られない。それは単に、お客さんに指定された納期がないからみんなノンビリしているというだけではなくて、会社で良しとされていた、外注にザブザブお金を使ってとにかく早さを追求するというような働き方が金銭的に無理ということも理由にある。論文読んだり書いたり研究計画立てたりするだけでなく、資料作成・実験器具洗い・事務作業まで、何もかも自分でやらなければならないから、どうしても仕事のスピードが遅くなる。
 で、言いたいのは、研究に戻ってきて時間がたって、少しずつ会社員時代の仕事の仕方を忘れてきているのが怖いな・・・ということだ。4月に研究に戻ってきてすぐの頃は、「納期を自分で決めて、もっと詰めて仕事しなきゃな」とか「お金があったらこんな非効率なことしなくて済むのに」とか思いながらやっていたけど、最近はだんだんと「睡眠時間削ってまでやりたくないなー」とか「頼んだら高いし自分でやっちゃおう」とか考えるようになった。もっと怖いのは、最近だんだんとそれすら感じなくなってきてしまっているということだ。せっかく外の世界の経験を持ち込んできたのだから、こっちのやり方に染まってしまってはダメだと思って、研究に戻ってきた直後に自分が感じた違和感を思い出して自分を奮い立たせようとするのだけど、やっぱり周りの環境の影響力というのは大きくて、自分一人で意思を貫くのは難しい。やはり、そういう環境に身を置いて引き締めることが定期的に必要だと痛感する。
 一方でそれの裏返しになるのだけど、前の環境で無意識的に慣らされていたなぁ、と今になって気づいたこともある。それは「効率よくやって楽することは良いことだ」という考え方だ。会社員時代は「効率よく楽に儲ける」やつが偉かった。効率よくやれば、早く帰れる。効率よくやれば、より多くの仕事を回せる。非定型だった仕事を定型化し、ルーチンワークに落とし込んで、低労力で汎用的に価値を発揮する方法を考えたチームは、社内で表彰された。複雑なものを複雑なまま考えようとするのは愚で、複雑なものは単純化して、楽に処理できるようにするのが正義だった。この考えは、目的がはっきりしているビジネスの場面では正しい可能性が高い考えだ。だけど、非定型でクリエイティブな仕事をするにあたっては、「非効率」の存在を容認しないと良い結果にはつながらないのではないかと思う。これは簡単に言えば「試行錯誤が許されているかどうか」だ。非効率な失敗を繰り返さないとたどり着かない境地というのは、必ず存在する。想定内の状況下で楽な近道を探す能力をどれだけ鍛えたところで、想定外の状況で上手く立ち振る舞えるようになるわけではない。今僕は、4月から今まで、ずっと失敗し続けている実験がある。成功すればそれなりに大発見なのだけど、その可能性は低い。それでも続けられているのは、失敗しながらでないとたどり着けない場所を目指すことを許し、非効率を愚としない、今の環境に身を置けているおかげだと思う。楽に成果を出すことを追求する環境だと、手を出すことは許されない実験だ。4月に研究に戻ってきた当初は、「いかに考えていることを早くやるか」ばかり考えていたけど、最近少しずつ「もっと失敗してもいいんだ」「せっかくならでかい目標を立てたほうがいいな」という気持ちになれてきた。
 結局、自分の考え方や働き方というのは、自分の意思以上に、周囲の環境の影響を受け、形作られていくものだと思う。これは僕の人生の基本戦略でもあるのだけど、人生の岐路においては、「何をやるか」よりも「どこでやるか・誰とやるか」のほうを圧倒的に重視すべきだと思う。研究に戻ってきて1年弱、少しずつ今の環境に染められはじめている中で、自分の意思はあまりあてにせず、会社的な効率的なやり方、研究的な試行錯誤、そのどちらの環境にも自分の身を置けるよう、いろんな人と、いろんな場所で仕事をするように、意識的にやらないとまずいなぁ、と思う。

未来を想像し続ける仕事


超広角で大仏様を撮ってみた@東大寺

去年の4月に安泰な生活を捨て、暗中模索状態でここまで約9か月、本当に不安の中でやってきたけど、やっと論文投稿までこぎつけて、ようやく次のステージに進んだ感覚がでてきた。あとは査読を受けて、最速で3か月ほどで受理されるというところかな。
 まぁ、喜ぶのは論文が通ってからなんだけど、今はとにかく「計画→実行→アウトプット」という研究者としての1連の仕事を1周回せたことにとても安堵している。ここまでアウトプットが無かったことがとにかく辛かった。これまで心の奥底にあった最大の恐怖が「修士の頃に論文が書けてたのは、研究テーマやタイミングに恵まれただけのまぐれだったのでは」というものだった。「果たして3年も研究を離れていてキャッチアップできるのか?」ということも、すごく不安だった。改めて、自分の手でゼロから研究を組み立てて、アウトプットまで持って行けたことは、大きな自信だ。
 もう一つ、「一連の工程感がつかめた」ということも大きい。一通り論文の原稿を書き上げるまでに、どの程度のデータ、分析、インプットが必要なのか、という点だ。当初の想定よりも多かったところも少なかったところもあった。「論文なんて会社員時代の仕事スピードでかかればすぐに終わるっしょ」とか調子に乗っていて、確かにデータ分析やグラフ化の部分では経験が生きて二度手間を最小限に抑えられ大いに捗ったけど、論文書きとなるとやはり会社の仕事に比べて科学ははるかに厳密で、過去の文献を1つも漏らさず厳密に調べ上げる作業など、想定以上に時間がかかったとともに、僕が会社に入ってすぐに感じた「会社の仕事って適当だなぁ」という感覚を再確認できた。今回の経験を通じて時間感覚が精緻化できたことで、次の作戦がかなりクリアに描けるようになったと思う。
 ただこれは、ようやく入口に立ったことを示すに過ぎない。先を見ると、天文学的に優秀な研究者達が職を賭けてすさまじい競争を展開している。今、最前線で戦っているのは、僕の10年くらい上の世代だ。10年後には、自分もそこで戦わなければならない。自分はあと10年で何ができるだろうか?10年後には、どのような研究が必要とされているのだろうか?そう考えると、本当に時間が無いと思う。


 時間が無い中で何をすべきか?最近よく考えるのが、普通に前に進むだけではダメで、世の中の変化よりも早く前に進まなければ勝てないということだ。目先のことは考えないで、常に5年先、10年先、もしかすると30年くらい先の世の中を考え続けてないとダメなのかもしれない。前職が「当たり前のことを当たり前にやりきる」ことを得意とする会社だったこともあるのかもしれないけど、無意識のうちに「前例を踏襲して低リスクな仕事を確実にこなすことで価値を出す」という思想に染まっていたような気がする。それはそれで社会には必要とする人がいた、意味のある仕事だったけど、研究者はそんなことをしていたら即死だ。未来を想像しつづけなければならない、むしろ未来のために失敗することが許されている。
 年が明けて論文を書き上げてから、確実に自分の意識がシフトアップしたような感触がある。自分はもう少し色々挑戦してみてもいいのかもしれないし、それをできるのは自分だけかもしれない。なんだか調子に乗っているけど、それくらいやらないと、やれないと、生き残れないというのも事実だと思う。僕の研究は基礎科学だけど「役に立たない」とは言わせたくない。10年後、30年後に注目を集め、世の中の役立っているかもしれないものを先回りして見つけ出して、未来を変える一翼を担う研究者になりたい。

楽しくてしょうがない日記


ねこ@竹富島

 退職した人の常として、「辞めてよかったぜ!」と言いたいというのがあると思っていて、それはやっと外に出て自由にモノが言えるようになった解放感と、自分の選択を肯定したいという不安から来るものだと思っているけど、当人は本当にそう思っているつもりで言っていることが、往々にして無意識のうちに他人の生き方を否定して不快にさせているということがあるなぁと思っていて、あんまりリアルでは言わないように我慢しているのだけど(それでもちょくちょく言ってしまうのだけど)、まあせっかくこういう場所があるんで、思いっきり言わせてもらいたいのが、

マジで会社を辞めてよかったすぎる。毎日あり得ないほど楽しくてヤバい

ということだ。もっというと、

会社を辞めないという選択肢を残していた自分が本当に恐ろしい、危なかった

とすら思う。
 理由はとにかく「自分は研究者に向いている」ということでしかないのだけど、具体的には「辞める前に考えていたことがあまりにも今振りかえってもその通りすぎる」ということなのだと思う。会社員時代に「こういう仕事ができればなぁ」と思っていたことが「今あたりまえにやってて楽しい」ことになっているし、会社員時代に「つまらない」と思っていたことは「今考えても本当につまらない辞めてよかったこと」になっている。もう少し後悔するかと思っていたのだけど、あまりにも思っていた通りすぎて戸惑ってしまうレベルだ。
 僕は今、毎日、自分が専門家だと胸を張って言える仕事をしている。世界を相手に英語で仕事をしている。頑張りは搾取されず報われる。茨の道だけどそれを楽しんでいる。しかも田舎に住んで自転車で季節や天気の変化を感じながら研究室に通える。自炊して6時間寝れる健康的な生活をおくれる。そして何より、研究が順調で、毎日がワクワクの連続で、面白い発見が次々と出てきて、面白いストーリーが次々と思い浮かぶ。これから論文をどんどん書いていけそうだし、そこに社会人経験が確実にプラスに効いてくれる感覚がある。一年かけて、様々な学会に出て、様々な研究者と話をして、一通り情勢をつかんだことで「どれくらいやれば生き残れそうか」という感触も得られた。あてもなく大海に漕ぎ出したけど、不安は増大する方向よりも、減少する方向に向かってくれている。このまま毎日「楽しい楽しい」といって一生懸命仕事していれば、なんとかなりそうな気がする。気がするだけだけど・・・
 そんなわけで、もう本当にどうしようもないくらい毎日が楽しいのです。正直、会社員の頃は「毎日作業的に生きてるだけだし、一瞬で死ねて、死んで悲しむ人がいないのならいつ死んでもいいよね」という考えで普通に生きていたけど、今は「未来が楽しみでしょうがないので絶対に死にたくない!」と毎日思って生きていて、しょうもないけど、事故や怪我で人生を台無しにしないよう、ものすごく気を付けて生きるようになった。
 今年の年始に立てた目標では「交換不可能な人間としての地位を築くこと」というのを書いた。まだ達成できてはいないけど、年初のとんでもない不安の中でさまよっていた頃からすれば、この1年で達成できそうな道筋が確実に見えてきた。来年の目標は「全てにおいて今のペースを維持する。何ならさらに加速する?」というところでしょうか。具体的には、少なくとも論文を3本は出して、将来の就職先の目途を立てるところまでいきたい。というわけで、楽しさのあまり書きなぐったおもんない日記でした。ではまた来年。

自分の仕事の値段を自分で決められているか


今年の紅葉は赤緑混交でした@東福寺

 研究者は「プロ意識を持って仕事ができる」という点で恵まれているなと思う。プロ意識とは、「自分の仕事へのこだわり」であり、「常に本気を出して最高のものを提供する」という気概だ。僕が会社を辞めることを考えるようになったきっかけとしても、プロ意識を持って仕事に取り組めない会社の環境に不満があったというのは大きかった。
 言うまでもなく、会社の目的は、利益だ。「頑張っても頑張らなくても利益は同じ」という場合、「できるだけ頑張らずに合格点をとって、余った労力を別の仕事に回す」というのが基本的に正しい考えだ。だからビジネスの現場では「顧客の期待を超える最高の仕事で相手を感動させたい」という考えの社員よりも「顧客の期待値レベルを読んで、そのスレスレを攻めてたくさん稼ぐ」社員のほうが高い評価を得られるということが往々にして起こる。プロ意識を持って仕事に取り組む自信と覚悟がありながら、利益を追求する会社に「質より量」で仕事を詰め込まれ、やりたいように仕事ができなくて悶々としている人は、世の中にたくさん存在するはずだ。
 僕自身にとっても、この「効率よく稼ぐためには手を抜けるところは抜け」という考え方は、ビジネスとして正しいことは理解していても、なかなか受け入れがたいことだった。自分の仕事に常にこだわりや自信を持っていたいし、こだわり抜いてないものを外に出して相手に「こんなもんか」と思われながらしぶしぶお金を払ってもらいたくはない。それに、そうやって一生懸命やることを怠って仕事を続けていると、期待値攻めのスキルばかり身について、自分自身も成長できない、と思っていた。
 ではそうならないためにはどうしたらいいのだろうか?プロ意識を持って仕事をすることと、利益を上げることは、両立しないのだろうか?
僕は

自分たちの仕事に自分で値段をつけられているかどうか

ということを、プロ意識を持って仕事に取り組むうえでの必要十分条件として重視すべきなんじゃないかと思っている。平たく言えば「売り手市場に持ち込む」ということなのだけど、「プロフェッショナル」なんかで取り上げられるいわゆるプロの仕事をしている人たちを見ても、この点はほぼ共通していると思う。プライドを持ってプロの仕事をする代わりに、金額はこちらで決め、安い仕事は基本的に受けない、という態度を徹底することが、手抜きの仕事を生み出さないようにするためには必要なのではないだろうか。
 プロ意識を持って仕事をするということは、相手の期待値によらず、自分のベストパフォーマンスを提供し、期待を超える感動を目指すということだ。常に全力で仕事をし、自分を磨き続けているから、実力も自信もある。だから限界までこだわっても元を取れるというだけの値付けができる。これで回っているビジネスが、プロ意識と利益を両立できている仕事と言えるのだと思う。
 「プロの仕事なんか要らないから安くしろ」という需要ももちろんある。すべての仕事がそうあるべきとは思わないしそうはならないだろう。だけど、こだわりが強くて、学者肌で、仕事を通じて他人と交換不可能な専門性を磨きたいという僕みたいな人間は、働く環境を選ぶとき、この「価格を自分で決められているかどうか」という点を最大限重視すべきだと、今改めて会社員時代を振り返ってみて思う。
 今思えば、就活時に内定を辞退した外資コンサルは、まさにこの「高価格のプロの仕事」をやっている会社だった。これは就活生の目としてだけでなく、就職して同業他社の目線から見てもそうだった。僕は「できるだけ広い業界の仕事をして視野を広げたい」というのが就職動機だったので、お客さんの懐事情に合わせて少額案件も手掛け「質より量」の仕事ができる国内系の会社のほうを選んだ。予想通り、かなり幅広い業界の仕事をすることができたし、高価格路線ではお付き合いできなかっただろうお客さんとも仕事ができた。そういう点では、満足だった。だけど、僕はやっぱり「プロ意識」へのこだわりが強かった。そしてそこが会社に対する不満につながっていった。「値段相応の仕事をするべきだ」という考え方に慣れ、「限界までこだわって仕事をする」というプロ意識をだんだん忘れて、そのことに違和感が無くなっていく自分が怖かった。そういう意味では、もし外資のほうに行っていたとしたら、「会社員というもの」に対して感じていた印象も、自分の人生も大きく変わっていただろうと今になって思う。
 今、研究に戻ってきて、「間違いなく自分が世界で一番詳しい」と言えるものがあって、楽しい。僕はやはり、研究者に向いていると思う。研究はビジネスではないけれど、研究において「自分で価格を決める」というのは「どんどん向こうから声がかかってきて、こちら側から研究成果を共有する相手を選ぶことができる」ということだと思っている。常にこだわってフルパワーの仕事ができる今の環境をできるだけ長続きさせられるよう、頑張りたい。

僕が博士進学にあたって会社を辞めた理由


夏の水郷@近江八幡

 修士卒で就職した会社を辞めて博士課程に出戻り、という話をするとよく聞かれるのは「社会人ドクターという選択肢はなかったの?」という質問だ。結論からいうと、僕は会社に所属しながら博士課程に行かせてもらうという選択肢は一切考えなかった。まず大前提として、そもそも修士で就職した理由が「生物の研究一辺倒だった自分の視野を広げたい」で、一番幅広い経験ができそうなコンサル・シンクタンク業界を敢えて選んだ経緯があるので、出戻り先の生物基礎科学の研究は会社の業務内容と一切関係がなく、そもそも会社が許してくれなかっただろうというのがある。だけど、たとえ業務と関連のある研究分野(MBAとか)を進学先に選んでいたとしても、本腰を入れて研究に身を投じるつもりであれば、僕は会社に籍を置いたまま進学するのはあまり良い選択とはいえないのではないかなと思っている。
 で、そう思う理由として考えることはいくつもあるのだけど、シンプルに集約すると

研究って命がけだし、会社との両立って無理じゃないですか?

ということに尽きる。
 研究は命がけでなければならないと思う。それこそ、基礎科学の分野だと就職も厳しいから、そこで生き残ろうとすると、年中無休で命を投じて研究に没頭する学生やポスドクとの競争を戦わなければならない。彼らは文字通り「後がない」状況だから、貧困の中、本当に人生を賭けて頑張っている。そんななかで、社会人ドクターとして、会社に身分と給与を保証された状況で、(会社によるだろうけど)本来業務をこなしながらの同時進行で研究を進めるとなると、モチベーション的にも時間的にもかなり厳しい戦いを強いられるのではないだろうか。
 もちろん社会人ドクターは、会社とのコネクションや社会人経験を活かして、非社会人ドクターよりも効率的に研究ができる側面はあると思う。けどそれでライバルと対等に研究できると考えるのは甘いのではないか。どんなに自分を律する能力が高い人間でも、研究への「命の懸け具合」、言い換えると「100%全リソースを研究に投じていられるかどうか」という決定的な点によって、研究の深さの限界値って決まってくるんじゃないかと思う。
 研究を究めるということは、例え狭い分野であっても「その分野で世界一になる」ということだ。そのためには、星の数ほどある先行研究を調べ尽し、理解し尽したうえで、その上に世界で初めての一歩を踏み出さなければならない。しかもそれを、ライバルよりも早く成し遂げる必要がある。「研究は競争ではない」というけれど、世界で2番目では意味が無くて、1番でなければ評価されないのが現実だ。こんなこと、とても本来業務の片手間で究められるような代物ではないと思う。事実、少ないサンプル数ながら、僕の知る社会人ドクターの方々は、皆能力もモチベーションも高く研究を始めるのだけど、最後までその勢いで走り切り、当初予定の年次で学位を取得した人はほとんど知らない。研究に全リソースを投資できる非社会人ドクターでさえ、数年かけてようやくまとめ上げるのが学位論文の仕事(であるべき)なのだ。
 このことは、「博士取得後アカデミアで生き残るつもりの人」に限らず、「博士取得後にビジネスに戻るつもりの人」にとっても同じことだと僕は思う。それは

どこででも食っていけるだけの研究能力を身に付けるために博士課程に行くのだ

というのが本来像ではないかと思うからだ。この覚悟をもって、会社を辞めて後の無い状況に自分を追い込み、命がけて研究して、期限内で自分の限界・納得いくまで究めて学位をとったうえで、その能力を売り込んで新しい活躍の場を探すというのが目指すべき選択なのではないだろうか。
だから僕は、

「社会人ドクター」という言葉に「往復切符」というニュアンスを含めること

に対しては否定的な意見だ。もちろん、社命による進学もあって、「博士号自体が目的」だったり、「アカデミア界と会社のビジネスの橋渡し的な役目を果たすことが目的」だったりするケースもあると思うから、一概に全否定はできない。けど少なくとも、自分の意思で研究を究める目的で博士課程に飛び込むのであれば、命がけの片道切符のつもりで、後が無い状況に自分を追い込むくらいでやらないと、モチベーションも研究の深さも、中途半端なままに終わってしまうのではないだろうか。
 研究者が貧乏でクレイジーで命懸けなのは今に始まったことではなく、古今東西の常だ。自分の研究成果が世の中の役に立つころには、死んでいるか、誰か別の人が儲けている。それでも、研究に命を投じずにはいられないくらい探求心にあふれた人たちの活躍が、これまでの世の基礎を作ってきたのであり、今の世に「人類が前に進んでいるのだ」という実感と夢を与えているのであり、人知れず未来の世の地固めをすすめているのだ。これくらいの覚悟と自信を伴っていないと、世界一の研究なんて成し遂げられないだろう、と僕は思う。
 極端で原理主義的な考え方だとは思う。もっと応用寄りの分野では、こだわり抜いて世界一を目指すことよりも、ニーズや利益に直結する成果を追い求める研究が正解になることもあるだろう。基礎科学の分野でも、表向きには自分の研究が世の中にどう還元されるかを説明する責任がますます求められるようになってきている。これからは「古き良き研究オタク」ではだめで、バランスの取れた研究者が求められているというのは正しくて、時代の流れだと思う。だから僕も「会社員経験を経てアカデミアに戻ってきたからこそ見えるもの」をできるだけ活かして活躍したいと思っている。
 ただ僕はそれでもなお、研究という仕事は、命を懸けるくらい必死にやってようやく究まることなのではないか、と思うのです。そもそも会社というシステムは、人生を懸けるようにできていない。「自分のやりたいこと」と「会社や顧客のニーズ」がマッチするかは運次第だし、そもそも命を懸けて仕事することが求められていないので、運よく与えられた使命とやりたいことがマッチして自分だけ命を懸けて頑張ったところで、「よく働いてくれるやつ」として利用される一方で大した見返りはなく、結局「そこそこにやる」のが正解になってしまうのが現実だ。さらに会社に給与と身分を保証されながらドクターをとったとなれば、会社に対して大きな義理を負ってしまうことになり、戻ってきた後に安易に辞めるわけもいかず、余計にその環境から抜け出せなくなってしまうのではないかとも思う。むしろ、自営業や起業家に転向するくらいの気持ちで「思いっきりやってみて自分の力を思い知る」というスタイルでやるのが本当の研究というものなのではないだろうか。しかも負債を抱えながらスタートする自営業や起業と比べて、「前払いが基本」の研究は、まだ難易度の低い命の懸け方だと僕は思っている。
長々と書いたけど、言いたいことは

何を目的に博士課程に行くのか?研究を究めることが目的なら、100%フルパワーを研究に注げる環境を整えるべき

というのが僕の考えで、だから会社を辞めて博士に行くことを選んだ、ということです。

問いを立てた瞬間に勝負は決まっている


夕刻の満月@ストックホルム市庁舎(ノーベル賞晩餐会の会場です)

 研究やっててよく思うことだけど、うまくやっている人とそうでない人の違いの一つに「良い問いを立てられているかどうか」というのがあると思う。「良い問い」というのは「より一般化され、より影響範囲が広い」問いだ。平たく言うと

「この問題を解決すれば、より多くの人・場面の悩みに答えられる」という問いをどこまで追究できるか?

ということになると思う。当然、こういう問いを立てようとすると、広い視野を持って「色んな分野の人たちが共通して考えている問題の本質はどこにあるのだろう」ということを、一歩メタなレベルで考えなければならず、難易度は上がる。だけど、最初の段階でしっかりと考えて、仕事の目標を「良い問い」に練り上げることで、それ以降の「答えを出す」フェーズのコスパが格段に上がると思う。具体的には以下のようなメリットがあるのではないだろうか。

「良い問い」は下位概念を吸収できる

一般度の高い「良い問い」に答えることは、必然的に個別具体的なケースに答えることにもつながる。しかも、個々の問題を一つ一つ考えていくよりも効率的で、より広い分野の人間に説明できる結論が得られやすい。

「良い問い」は発展する

視野の広い「良い問い」に答えることで、「例外」や「法則」に気が付きやすくなり、個別具体的なケースを相手にしていては気づき得なかった、発展問題の発見につながりやすい。そうして得られた問題も同じように視点の広い「良い問い」であることが多く、広いケースに適用できる重要な答えを得ることにつながりやすい。

「良い問い」は周囲を巻き込むことができる

「良い問い」は「できるだけ色んな人達が考えていること」を相手にしようとするので、必然的に様々な専門家たちとコラボをする必要が出てくるし、色んな人たちからの関心を引きやすくなる。別々の問題に向かっていた個々人のエネルギーを、統一された問題の解決に集中させることができれば、すごいパワーが出るし、みんな楽しい。

「良い問い」は賞味期限が長い

上記の通り、「良い問い」は考えることが多く、発展した問いも生まれやすく、色んな人を巻き込みやすい。なので、長持ちする。これにより、小さな「答え⇒問い」を繰り返し、その度に専門を変えて新たに勉強する苦しみを味わう必要も無くなる。

なので言いたいことは「仕事は始まりが肝心、本当に解決すべき問題は何か、最初に本当に慎重に考えるべき」ということだ。イノベーションを起こすのは、「良い答え」ではなく「良い問い」だ。問いを立てた段階で勝負は決まっている*1。発展可能性の低い「悪い問い」を立ててしまうと、その問いにいくら尖った答えを出そうとしても、間違ったスタートを挽回するのは難しい。特にチームで仕事する場合は要注意だと思う。一度「悪い問い」で始まってしまうと、それが既成事実化し、立ち戻って考えようと言う責任を負える人も出現せず、リソースだけが消費されて、大した結果が出ないという悲惨な結果に終わってしまいがちだ。
 本当に「良い問い」、つまり「新たな学問分野が立ち上がるくらい、人を巻き込み、大きな問題に発展できるような問い」を立てることができれば、人生を費やすことも可能だと思う。一つの問題を追究して一生食っていけるなんて、専門家冥利につきるけど、そういう問いを見つけるのは本当に難しいし、運も必要だと思う。そのためには、そもそも悪い問いを立てないよう、普段から視野を高く持っておくことはもちろんだけど、悪い問いだと分かってしまった時に深追いせずに立ち戻る勇気もなければならないと思う。

スウェーデン・ウプサラ郊外の池

*1:ちなみにここに書いたのと似たような内容で「イシューからはじめよ」という本があって結構面白いので興味ある人はおすすめです