短いようで長い人生


@角島大橋

 会社を辞めて2年が経った。まだたったの2年しか経っていないのか、という感想だ。本当に色んな事があって、長い2年だった。まだ2017年が3ヵ月しか経っていないことにすら驚きだ。そして、博士課程を卒業するまでにはこれからもう1年。不確定要素だらけで、1年どころか半年先や2か月先がどうなっているかも見えない日々が続く。これまで以上に濃くて長い1年になると思う。
 僕は、どんなことも3年くらいやれば、ゼロから始めてもそれなりに要領がつかめるものだと思っている。実際に、今やっている仕事のほとんどが2年以内に新しく始めた仕事だけど、それでちゃんと論文がかけているし、このペースでもう1年もあれば自信を持って研究者と名乗れるだけの実力は身に付くのでないかと思う。前の会社だって、全くの知識ゼロから始めて3年しかいなかったけど、辞めるころにはなんとなく仕事の全体像が見えるようになってきていた(それで合わないと思ったから辞めたのだけど)。もちろん、20年、30年と同じ仕事をやり続けないと到達できない境地というのは必ずあるし、そのような人たちにとっては「たった3年でなにが分かるって?」って感じだろう。だけど飽きっぽい僕にはそれができない。僕がそういう境地にありつけることは一生ないだろう。でも、30年で3年ずつ、10個の新しい仕事をやり続けるのだって、面白い人生だと思う。そこまで極端で無くても、ちょっと前に話題になった「40歳定年」みたいな考え方は僕は賛同する。これまでと全く違うことを、40歳とか50歳とかから始めたっていい。新しいことを始めるのは最初は苦しいけど、今の僕が「長すぎる」と思っているのと同じ密度と長さの3年がそこにあるはずだ。そんな3年を過ごしていれば、どんなことでも人並みにはできるようになってくると思う。だから、人生で一つの仕事を続けなければいけないと考える理由はない。むしろ短い人生を少しでも長く感じられるようにるすため、こだわりを持たず、常に色んな可能性を考え、色んな事に興味を持って生きたいと思う。60歳まで現役だとしても、僕にはまだ3年×10回もある。人生は短いようで長い。

絶対に死にたくない


おすすめです@京都鉄道博物館

目まぐるしく状況が変わる。今、本当に面白いことになってきていて、本当に死ぬのが嫌だ。人から見ればくだらないことかもしれない。だけど僕は今、未来を想像するだけでワクワクしすぎて心拍数が上がってしまって、寝れなくなるくらい、ドキドキしている。絶対に無事に未来を迎えたいから、車の運転もものすごく気を付けるようになった。僕は常に最悪を想像し、虚無な世界観で生きてきたから、いつミサイルが落ちてきて戦争が始まっても、いつ新型の伝染病で人類が滅亡の危機に追いやられても、いつ大災害が生活を滅茶苦茶にしてきても、平常心を保てる自信があったし、それだけ「今」を生きている自信があった。ネガティブではなく、ポジティブな意味で、本当にいつ死んでもいいと思っていた。だけど、今は本当に死にたくない。未来が見たい。未来のために今を生きたい。車に轢かれるのが怖いし、ミサイルを撃ち込んでくるのも、頼むから、もう少し待ってほしい。無事に今日を生きられるかどうか、毎日が不安で苦しい。

神頼みと綱渡りの日々


静かな朝日@樫野崎

「命懸けで仕事をしたい、冒険がしたい」といって会社を辞めて2年が経とうとしている。博士課程最後で20代最後となるこの1年、人生で最も命懸けで冒険の1年になりそうだ。次々と重い決断を迫られ、状況がどんどん変わって、未来の自分がどこでどんな気分で何をしているのか全然わからない日々。先週突然、この夏海外に長期滞在できることが決まった。知らない世界に勝手に一人で乗り込んで周りを巻き込んで研究する。誰も何も保証してくれない。全て自分次第。そんなことできるのか。いったいそこでどんな生活が待っているのか。どんな人とどんな風に働くことになるのか。想像もつかない。その後身分が保証されているのは来年の3月までで、その先は白紙。こんなに将来のことが読めないのは生まれて初めてだ。
 怖いのは不確実さだけではない。プレッシャーもこれまで経験したことがないレベルで感じている。研究の下地が固まった今、実りある30代を迎えるべく、とにかく種を撒きまくっている。自分を過大評価して、公私問わず、負債を厭わず、お金よりもタイミングを優先して、周りを巻き込みまくって、どんどん先行投資している。当然、リスクや責任も膨れ上がっていく。前倒しで色んなものに手を付けまくって色んなものが始まってしまったけど、果たして本当にクロージングできるのだろうか?失敗したらどうするのか?心の底では本当に自信が無い。だけど何もやらないわけにはいかない。だから表向きには自信満々に、大きな決断をどんどん下している。
 願った通りの、命懸けで、冒険の人生だ。いつも全力で生きているから後悔はない。日々下した決断で人生が変わるから夢中になれる。何が起こるか読めなくて楽しみだから、明日も、来月も、来年も生きていたいと思える。でもこれがいつまで破綻せずに続くのか。自信が無い。
 研究者や自営業の先輩方から見たらアホみたいな当たり前の話かもしれない。だけど、安定した大船に乗る人生ばかり歩んできた自分にとって、これからの1年は、いよいよ湾外に飛び出し、外洋の荒波に揉まれ、そこで生き抜くことができるのかどうかが試される年になるのだと思う。来年の今頃の僕が、これをほほえましく読んでいることは間違いない。だけど、どのような意味でほほえましいかは、全く想像がつかない。

人生が終わっていく


水平線に浮かぶ竹生島


 気づけば年末になっている。昨年の年末に「来年は少なくとも3本論文を出す」というようなことを言っていたけど、結局今年出版されたのは1本だけ。2本目は先月ようやく投稿して、3本目はまだデータがそろってすらない。論文を書くという行為は、想像していたよりもはるかに大変だった。前例を漏れなく調べ上げ、厳密かつ客観的な議論に基づきながらも魅力的なストーリを仕立てて、新しい価値を付け加えなければならない。そんなに楽なわけがなかった。その一方で、こういうレベルの、厳密で真剣な仕事ができる場所に戻ってこれて良かった、と改めて感じている。会社を辞めて時間が経った今でも、あの

顧客の期待値スレスレを攻め続け、質よりも量をこなすことが良しとされる環境

が自分に向いていなかったという気持ちは変わらないし、今ますますその思いを強くしている。
 だけどそうやって、会社を辞めた自分の選択が良かったと思えば思うほど、増してくる感情がある。「会社員として過ごした自分の3年間って無駄だったのかも」という気持ちだ。もちろん、これは結果論での話だ。ここで何度も書いているように、僕はもう一度人生をやり直すとしても、修士を出た段階で研究の外の世界を見てみたくなって、就職活動をして、一度会社員として生きる選択肢を選ぶだろう。それで実際に目的通り「研究の外の世界は自分に向いていない」ということを身をもって確認でき、自信をもって研究に戻ってこれたのだから、そこには後悔はないし、こうする以外に自分が納得できる方法が無かったのは間違いない。
 でも、それにしてもあまりにも、僕の仕事や生き方に対する意識は、会社で過ごした3年間を通じて変化していない。僕が会社に入ってすぐに不満に思った点と、会社を辞める時に我慢が出来なかった点と、今自分が研究に対して満足している点は、一貫していて、変わっていない。
果たして僕は3年も使って、会社員生活で何を得たのだろうか?今改めて真剣に考えると、答えが見つからない。そして、冗談抜きで、

都心に住んで、お金をたくさん稼いで、休日に金を使いまくる、という過ごし方を経験できたこと

が自分が3年間で得た、一番価値がある事だったのだと思う。テレビでしか見たことが無かった東京のど真ん中の地名が当たり前のように日常に登場し、今思えばとんでもなく高いレストランや居酒屋で当たり前のように飲み食いしていた。都心で車を持って、毎週のように高速に乗って郊外に遊びに行っていた。東京から日帰りで行ける観光地で行っていない場所はもうないのではないかというくらい遊びつくした。今後二度と味わうことのできないであろう、自分ごときにはどう考えてもオーバースペックで贅沢すぎる生活だった。これを3年間も経験できたことは、僕の視野を広げて、人生をとても豊かにしてくれた。そして「足るを知れた」ことで、「自分はどれくらいの欲を持つのがふさわしいか」という、自分の中で死ぬまで使える価値基準を得ることができた。
 けど、それって20代の貴重な3年間を使って得るべき経験だったか?残念ながら、答えはNOだと思う。僕が会社員として過ごした3年間は、毎日目の前にある仕事をやっつけて、休日を楽しみに生きる、消化するだけの毎日だった。作業的に生きていて、本当にいつ死んでもいいと思っていた。今の僕は、休日も暇があれば研究を進めたいと思うし、毎日が目標に向かっていくための濃密な日々で、未来を生きるのが楽しみで、死にたくないと思う。もし、会社で消化した3年間、今と同じ密度の毎日を過ごせていたとしたら?3年あれば出せたはずの成果の機会損失は莫大だ。
 日に日に、同年代や自分より若い世代の研究者が、自分よりも成果を出し、活躍するのが目につくようになっている。それは、僕が東京で人生を浪費している間に、彼らが積み上げた成果だ。それを見て、「20代の貴重な3年間、勿体ない使い方をしてしまった」という思いを強くし、悔しい気持ちになってしまう。しかし、悔やんでもしょうがない。経験は勝手に活きるものではなく、自分で活かさなければならない。社会がどのくらいの厳密さで回っているのかという感覚や、相手の求めるものを想像しながら人間関係を作っていくノウハウ、お金と時間を上手く使って仕事を効率よく回すスキルといった、社会人経験を通じて学んだことをうまく活かして差別化ポイントにしていかなければならない。それをきっかけにして、3年間のロスを取り返すチャンスをうかがっていかなければならない。


 この1年の自分の中の大きな意識変化の一つに、「積み上げる人生観」から「取り崩す人生観」に変わってきた、というのがある。20代も最後の1年にさしかかり、人生の残り時間を意識して生きるようになった。「できるだけ多く経験し、たくさん勉強するのが良い」という歳は、もう終わった。一人の人間が人生で実現できることは限られている。そしてそれは30代にはある程度実現しているようなものであるはずだ。もうそろそろ、手持ちのカードを増やすのではなく、手持ちのカードをいかに切って上がるかを考えないと、死ぬのに間に合わない。自分にまだ無限の可能性が思ったら大間違いで、実はすでに20代後半というのは、

現時点で自分が持っている可能性で今後の人生を勝負していかなければならない

という世代に差し掛かってきているのだと思う。
 時間を足し算でなく、引き算で意識するようになり、日々の命懸け度がますます高まっている。1分1秒がカウントダウンである、ということを、日常レベルで感じながら生きることができている。もっと早く気が付けばよかったけど、今気づいてよかったとも思う。
 来年の目標を立てようと思ったけど、目標があっても無くても全力でやれる自信があるので、とにかく命懸けで頑張ることだけ、ここで宣言しておきたい。

生意気の前提化


満月@瀬田川

 僕は生意気な若者にやさしい。生意気な若者が好きだ。応援したくなる。それは、自分自身も生意気であったからだ。大したことないことを大したことのように取り上げることで自分の存在価値を確認しようとする、あの生意気な感じだ。考えるだに、あの若々しい生意気さは、悔しいしダサい。でも、今タイムマシンで過去の自分に戻れたとしても、僕はやっぱり生意気に振る舞うことしかできないだろう。あの時点の自分は、あの時点でできることを精一杯やっていて、あれ以上うまくやることなんてできそうになかったからだ。それは過去だけの話ではない。今の自分だってそうだ。今、過去の自分を振り返って「ああ大したことないことにこだわって生意気だったなぁ」と思っている自分自身、常に数か月後の自分自身に「ああ生意気だったなぁ」と思われている。今の自分にとって大したことでも、時間が経って慣れてくると、大したことなくなっていくのは、まぁ当たりまえのことだ。だからいつまで経っても、僕は将来の自分から見ると生意気な人間のままということになる。そういうどうしようもない経験を繰り返して学んだのは「だったら意識的に生意気になろう」という逆転の発想だ。「必死にやっているつもりが後から見れば生意気だった」というのは悔しいしダサい。だったら「将来の自分から見れば今の自分が生意気なのは分かってる、でもやるんすよ」という前提化メソッドでメタに立つことでプライドが傷つくのを防ぐと同時に、根拠の無い全能感を躊躇なく引き出して機動力を高めるほうが、健康的に自分の可能性を最大化できるのではないだろうか。ああ、なんて生意気なことを言っているのだろう。

結局僕は報われたい


お花畑@カナダ

 会社を辞めて博士課程に戻ってから1年半が経とうとしている。そろそろ「元会社員」というアイデンティティも薄れてきて、単なる一人の博士課程の学生としての実感のほうが大きくなってきた感じがある。これまでの僕は何かと「会社員時代の自分」の「今の自分」を比較し、「会社を辞めてどうだったか」ということばかり考えてきた。それだけ、会社を辞めるというのが悩み抜いた末の選択だったから、考え事も多かったということだ。最近になってようやくそれが気にならなくなってきた。良くも悪くも、会社を辞めた直後の生意気さが薄れてきた。そしてそれと同時に、アカデミアの中での自分の未熟さを痛感するようになった。
 学会のトップを走る研究者達は思った以上に途方もないレベルで戦っている。それに比べると僕なんて本当に何の実績もない末端のゴミくずだ。(それが実感できただけでも、僕は研究に戻ってきてすごくよかったと思う。やっぱり世の中は僕が思っていたほどショボいわけがなかったことに、安心した。尊敬すべき人間がこの世にはたくさんいる。)だから今の僕がやるべきことは、とにかく研究で実績を上げて、ゴミくずを脱却し、天空で戦っているトップ研究者たちに仲間入りすることだ。それは本当に、思っていたよりもはるかに、とてつもなく大変なことだ。それをやるのに、会社員だったかどうかは関係ない。だからもう僕は、会社員を辞めて研究に戻ってきたこと自体に価値を感じようとしなくなった。
 そしてそう思うようになったことで、僕はフラットに「自分は何をやりたいんだろう?」ということを考えられるようになってきた。「会社に比べて研究がどうだ」という話ではなく「そもそもなぜ僕は研究がやりたいのか」という話。僕は性格的に研究者に向いていることは間違いないのだけど、今の研究テーマに特段こだわりがあるわけではなく(そもそも一生同じネタで研究できる幸運を期待すべきでない)、全く別のテーマに取り組むとしても、研究者という仕事を僕は楽しめそうな気がする。でも、それがなぜなのか、きちんと説明できないでいた。
 で、色々と考えたのだけど、あらゆる考えを集約した結果、結局僕が求めているのは、

どれだけ頑張っても損をしない環境

なのだと思うに至った。研究者という職業は「論文」という極めて属人的で客観的な指標によって、そのパフォーマンスを評価される。やればやるだけ成果が出るし、どれだけやっても「やりすぎだ」とは言われない。好きなだけとことんやればいい。この「頑張りが全て論文として形になる」という単純システムが、僕が研究者という職業にあこがれを感じる理由になっているのだと思う。僕は、研究者の論文業績リストを眺めるのが大好きだ。声の大きさや政治力にモノを言わせるだけでは達成しえない、その人が本当に人生を賭けて成し遂げてきた仕事が、静かにリスト化されている。本当に美しい。
 僕はこれまでにも散々「命懸けで働きたい」ということを書いてきたように、常に自分の出せる実力の上限で働きたいし、そのパフォーマンスで評価をされたいと思っている。以前働いていた会社は、はっきり言うと(違うという人もいるかもしれないが少なくとも僕はそう感じた)、率先して一生懸命仕事をすると損をする仕組みになっていた。「いかにこだわるか」でなく「いかに手を抜くか」を考えることが推奨されているのでは思うことすらあった。様々な愚痴はあるけれど、結局僕が耐えられなかったのはそこに集約されるのかもしれない。もちろんそれに耐えて戦い続けて、会社の力を利用して大きな功績を上げる人間もいた。だけど僕は、そんな苦労をするのなら、一人でもいいからすぐに結果がでる世界で働きたいと思った。「一生懸命やっても大丈夫」という環境で心置きなく自分の本気を出して、それで褒められたり、ボコボコにされたりしたかった。逆に言えば、その条件さえ達成できていれば、僕の選択は必ずしも研究者でなくてもいいのではと思う。
 僕の論文業績リストはまだスカスカだ。今こんなに頑張っているのに、トップ研究者からみればゴミ以下の業績しかない。そして一生懸命アウトプットを出すことでしか、ゴミを脱却する方法はない。この論文リストを拡充していく人生。とてもかっこいい。

なぜ前を向くのか


祈願@立木山寺


 「楽観的な人は人生上手くいく」というのはよく言われる。確かに、楽観的で根拠のない自信を持ち続けられるというのはとても強い。自信があるから、色んな人をどんどん巻き込み人脈を広げられるし、自信があるから、失敗を恐れずに色々な可能性を模索できる。もちろんそうやって、闇雲に人脈を広げたり、リスキーな挑戦をすることで、失敗することもある。そういう失敗をあげつらって、楽観的人間が嫌いな人間は叩く。だけど、楽観的人間の本当のすごさは、そうやって失敗して叩かれても、そこから短時間で立ち直り、前向きになれるところだと思う。楽観的人間の根拠のない自信というのは、思考のかなりコアな部分に存在する自律的な存在だ。だから簡単には消えないし消せない。そして、そういう自信を持ち続けられる楽観的人間のほうが、自信が無くて人見知りで失敗を恐れて挑戦をしない人間よりも、結果として多くの成功と失敗を積み重ねられて、経験豊かな人間になれて、より社会的な地位の高い、よりバランスの取れた思考ができる、より幸せな人間になれるのだと思う。どのみち、自信というものは常に根拠のないものだ。だったら、無いよりあったほうがいい。悲観的よりは楽観的なほうが良い。それは、多分正しいことだ。
 さて、自分の話。この話に当てはめると、僕は楽観的だと思われることが多い。たしかに僕はこれまでの人生で、高い目標に躊躇なく努力を注ぎ込んでうまくいったことが多いほうで、それができたのは「自分ならできるはずだ」という気持ちがどこかにあったからこそだと思う。安定した会社員を辞めて不安定な研究の道で夢を追いかける選択をしたのも、心の底のどこかで、勝算が無ければできない。そう思えばたしかに僕は「根拠のない自信に満ち溢れた人間」に見えるのかもしれない。
 だけど、どう考えても、僕の心の根本にあるのは「楽観」ではない。僕はむしろ、楽観的人間の考え方があまり好きではない。今はそうは思わないけど、かつては楽観的人間を、お気楽な考え方で上手く世渡りをしているだけの、周囲の苦労や苦悩に鈍感で、世の中の理不尽さや不確実性に興味のない、浅い人間だと見下していたこともあった。僕の心の根本にあって、僕を動かすエネルギー源になっているのは「楽観」ではなくて「悲観」だ。僕は常に最悪を考えて生きている。最悪を考えれば考えるほど、不安になって、もっと色んなことをしっかり見て考えたい、後悔のしようが無いほどあらゆる選択肢を慎重に吟味し、少しでもベストだと思う道を選びたいと思うようになる。下を見すぎて、前を向くことでしか安心ができない。だから、根拠のない前向きの自信にも見えるエネルギーが湧いてくるのだと思う。
 世の中はどんどん変わる。自分もどんどん変わる。ずっと同じわけない。そんな不確実な世界で、少しでもたくさん考えて、少しでも将来苦しい目に合わないと思われる選択をすることで安心したい。もし、どうしてもいつか味わうことになる苦しみがあるのであれば、少しでも早いうちに味わって安心しておきたい。そのために決断をし、行動する。未来が楽しみだから決断をするのではなく、未来が怖いから決断をする。決断をしないのはもっと怖い。決断できる選択肢が無くなるのはもっともっと怖い。だから僕は常に、未来の選択肢を最大化する選択肢を選択し続けてきた。選択肢は多ければ多いほうがいいと信じ続けてきた。選択肢は放っておくと勝手に減っていく。だから、多くの選択肢を維持し続けることはコストがかかる。でもそのコストは、未来の不確実性への不安を和らげるのに払う保険料みたいなものだと思う。選択肢の多さは、不確実な未来に対する保険だ。僕は会社を辞めた。それは「このまま会社にいて選択肢が減っていって、不確実な未来を生き残れるのか」という不安に耐えられなくなったからだ。安定した身分にしがみつくしかなくなって「嵐なんかくるわけない」と信じ続け、ある日突然船ごと沈むのが怖かった。それよりは、若くて体力があるうちに、一人で大海に泳ぎ出して波にもまれることで、少しでも嵐を生き残る準備が進められるのではと思った。それで、給料と正社員の身分を捨てた。それは保険料だ。高い保険料だ。もしかすると嵐はずっと来ないかもしれない。来なかったら馬鹿にされるだろう。でも僕は、嵐はみんなが思っているよりも簡単に起こるものだと思っていて、保険料(と自分が思っているもの)を払って安心を買うしか方法が無かった。
 未来は本当に不確実だ。税金で研究者ができる時代がいつまで続くだろうか。高齢化社会が破たんする日はいつくるのだろうか。次の大災害は大地震だろうか、ミサイルだろうか。世界は、日本はいつまで平和なのだろうか。機械が人間の代わりになって判断しまくる日はいつくるのだろうか。僕は自分が生きている間に、世界がグチャグチャなことになっても楽しく冷静でいられるように、これからも最悪を想定し続け、選択肢を増やし続ける努力をする(保険料を払い続ける)ことでしか、自分の心の安定を保つことができない。今の僕は、選択肢を最大化するための選択をしてきた結果、大きな自由を手にしている。博士課程の学生というのは、本当に自由なのだ。何を考えても、何をしてもいいし、しがらみもない。全ては自分の行動あるのみだ。楽しい。だけど、ただ楽しんでいるわけにはいかない。楽しみながらも、この自由を使って、できるだけ色んなことを考えて、色んな人に会って、色んなことをやって、将来の選択肢をさらに拡大して安心しなければならない。今やっている研究は楽しいし、将来できるところまで研究をやりたいと思っている。だけど、一生研究できるなんて全然思っていない。10年後には、とんでもないところで、とんでも無い仕事をしているかもしれない。20年後なんてもっと分からない。まったく分からない。人間は3年もあれば全然違う仕事でも適応できる。それは自分で経験した。それくらい、未来は不確実で、人生は長い。でも選択肢は放っておくと減っていく。だから選択肢を減らさないために、頑張り続けるしかない。それは、根拠の無い自信に基づく楽観的行動ではなく、将来辛い目に遭いたくないから保険料を払っているだけだ。
 ちなみにこの文章は、明日からの海外出張(時差13時間)の時差ボケで苦しむのが怖くて、日本にいる間に現地時間に適応し、時差ボケの苦しみを先取りする取り組みの一環で夜更かししている時間に意識朦朧の中で書いた。辛いこと、苦しいことは先取りして安心するに限る。