情報は供給制限から処理制限へ
最近生活の充実っぷりがすごい。という自慢。
常にどの予定を捨てるかを考え続けなければならん状況。
捨てたものがあることによって、
選んだものに対しても効率的に望まなければならない気分になる。
ところで、最近思うのが、
よくある「人生成功体験談」みたいなのは一切当てにならないということだ。
よく、本やネットやテレビで、人生上手くいきました系の人が、
「この歳までにはこれくらいはデキるようになろう」
「一日に最低何時間はこれに当てよう」
「俺はこういう考えかたで成功した」
みたいなのを言ってるけど、そんなん全部役に立たない。糞食らえ。
というのも、
・そのやり方で成功した人がそう言っているだけで、裏にはそのやり方でも上手くいかない人が大勢いる
・そのやり方が適切どうかは人間と状況によって違うし、何をもって成功とするかも人間によって違う
・今成功談を語っている人間が僕の世代だった頃とは時代が違いすぎる
ということに気がついたからだ。
一つ目はすぐ分かるし、二つ目も人間の多様性を認めれば分かる。
僕が最近特によく感じるのが三つ目だ。
三つ目は要するに、インターネットが有るか無いかってこと。
例えば、一昔前は、論文を読むのにも図書館に行って雑誌を探さなければならなかったが、
今はどの論文もワンクリックで読める。
それどころか、気になるキーワードで検索したら、
そのキーワードを含む論文が雑誌名に関係なく全てリストアップされるし、
今読んでいる論文を引用したそれ以降の論文を、一覧にまとめて眺めることもできる。
つまり、以前、図書館に行って雑誌を読み比べて「引用−被引用関係」を調べるのに当てていた時間が不必要になり、
全て論文を読む時間に回せるようになった。
一言で言えば、触れる情報の量が制限となっていた時代から、吸収する情報の量が制限となる時代になったということだ。
英単語だってそう。昔は単語帳作ってシコシコ覚えてたんが、
今やネットで分からん単語が出てきたら瞬時にデジタル単語帳に記録して、一覧にすることができる。
自動でランダムに並べてテストしてくれるソフトまである。
それ以前にまず、ネットのおかげで、英語に触れるために超えるべきハードルが圧倒的に下がった。
今やモチベーションさえあれば、タダで外人とチャットできるし、電話もできる。
これも一言で、
触れる情報の量が制限となっていた時代から、モチベーションが制限となる時代になった、
と言うことができる。
こんな感じで、情報が溢れるようになったおかげで、
情報に触れる機会が制限になることがなくなり、
情報を吸収する頭脳が制限になったのが今の時代であると思う。
あるいは、情報の供給量の制限から、情報の処理量の制限になった、と言ってもいいかもしれない。
このように時代が変わった今、
今成功している人が若い頃にやっていたのと同じことをやって満足している奴は上手くいかないと思う。
情報にありつくための努力が不必要となった今、「他人と交換不可能な人間」になるためには、
触れる情報量でなく、さばく情報量で差をつけなければならない。
そのためには、できるだけ脳を回し続けて、多くの情報を処理することだ。
もはや脳をいくら回転させても、情報の回転速度を超えることは絶対にない。
まったく、脳みそにとっては辛い時代になったと思う。