11月早すぎてウケた

 体育会でやってるネタの駅伝を走った。
それなりに運動に慣れた体で挑んだおかげで、死ぬほどしんどいことはなかった。
心拍計つけて走ってみたんだけど、ずっと190-200付近だった。相変わらずたけぇ。
ばっちりもがききりました。


 他人の意見によって、気付かぬうちに前提としていたものに気付かされることがある。
昨日親と来年の研究室配属について話をしたんだけど、別の考え方ができることを知って、選択はまた振り出しに戻った。
悩む。悩む。そもそもこれは選択なんだろうか?
疑問なのは、今回の選択は、身近にありふれた、例えば「黄信号で行くか行かないか」
というような選択とはまた別な次元な選択な気がしてしまうことだ。
でも、その違いって何??
結果の重大さから言えば、信号の件のほうがよっぽど致命的だと思うんだが。


 現時点での結論は、単に考える時間の長さの問題なのではないかということだ。
明日研究室決めろってなったら、今の気持ちでサッと決めちゃうだろうし、
この黄色信号で行くか行かないか一ヶ月考えろ、って言われたら、その交差点の状況をめっちゃ分析するだろう。
そう考えると、結局、「なるようになる」んだから、考えるだけ無駄な気もしてしまう。
しかし、後悔のしようがないくらい考えて決めたい、というこの欲。どこから生まれてくるんだ。汚らわしい奴め。
宇宙が始まった時点で全てのエネルギーの動き方は決まっているというのに。
う〜ん、分からんな。この問題は今思いついたのでまた今度考えてみよう。


追記:信号は何度も体験する選択であるのに対し、研究室は一度きりの選択であるということを考慮に入れてなかった。
経験を前提とした安心感というのが違いに効いているのかもしれない。