賢いアホ

 昨日は高校の時群れてた仲間と久々に会った。
なんというか、みんな大人になってた。多分俺も。
一方でバカだった頃のノリも忘れられてなくて、「分かっててやるバカ」が成立していた。
賢いアホ。これこそ最強形態だと思う。
高校のときバカで良かったなと思った。


 最近色んな締め切りに追われている。
「締め切り」って言葉、大嫌いだ。社会のほとんどは締め切りで構成されているんだろうけど。
直前にうわぁぁああってなりながら、未完成に終わる恐怖と戦うのが苦しすぎる。
それが嫌だから、僕はなるべく早めに手をつけたがるんだけど、
それでちょうど今うわぁぁああってなってるから、ビビって始めて良かったと思う。
未完成のまま出すわけにはいかないから、ここでは完璧主義がどうのこうの言ってる場合ではない。
失敗を恐れて、身構えて身構えて、慎重に計画を練って、完成品を出したもん勝ちだ。


 一方、「死」の締め切りには完成品がないというのが普通の締め切りと違う。
僕は今までそのことに気付かなくて完璧主義的だったけど、
気付いたところで、普通の締め切りと同じように、時間は有限で、締め切りは迫ってくる。
完成が無いことに戸惑う暇もない。これはどうしようもない。
結局、時間の有限さに対する恐れという、分析困難な感情に操られるしかない。


 だから最近は常に死の締め切りを意識して、
常に時間が有限であることを忘れないようにしている。
そうすれば将来なんかあっても後悔しようがないのではないかと思うし。


 でもまぁ、後悔先に立たずって言うけど、後にも立たない気がする。
過去の自分だってその時点では最新鋭だったんだし。
死の締め切りを目前にして、うわぁぁああってなってる老人を見ることもない。
そう考えると、後悔って言葉、この世に要らないんじゃね??最初に後悔考えた奴誰だよ。
そいつが考えなかったら誰も思いつかなかったかもしれないのに。