論理教信者の妄想
ともに受験を乗り越えた100均かどっかの"simple is the best"な筆箱が逝った。
まぁ、安物にしては長持ちしたな。お疲れ。
代わりに憧れだった巻物タイプの筆箱を導入。
コレすごくスタイリッシュだと思うのは僕だけなんかな?
とても面白い本を読んだので紹介。
- 作者: 三浦俊彦
- 出版社/メーカー: 日本実業出版社
- 発売日: 2004/02/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 1人 クリック: 9回
- この商品を含むブログ (18件) を見る
論理学の本をどうしても読みたかったんだけど、
格好つけて記号だらけの本を買わなくて良かった。
まえがきによれば、「論理学入門への入門書」。
一項目を2ページに制限していて、具体例豊富、
各項目に必ず図での説明がついているのでとても分かりやすい。
何がどう面白かったかについては感想が多すぎていちいち書いてられないけど、
どのページでも論理学の説得力に驚嘆させられ、
夢中になっていたらあっという間に270ページ終わっていた。
特に印象に残ったのは、「良い問い」と「悪い問い」の話。
長くなるので簡単にかくと、本文の言葉をそのまま使えば、
「サイコロを10回振って、なぜ(4,6,3,4,1,1,5,2,6,3)が出たんだろう?」
というのは悪い問いで、
「サイコロを10回振って、なぜ(6,6,6,6,6,6,6,6,6,6)が出たんだろう?」
というのは良い問いである。
「なぜあの人は10億人に一人当たるクジに当たったのだろう?」
というのは悪い問いで、(クジ運としての確率的には等しい)
「なぜあの人は1000人に一人当たるクジに3つ続けて当たったのだろう?」
というのは良い問いである。
「なぜ僕は他の誰でもなく○○(名前)なんだろう?」
というのは悪い問いで、
「私はなぜそもそも誰かとして存在できているのか?」
というのは良い問いである。
・・・なぜこう言えるのか、ってことは本に書いてあるけど、
悪い問いどれもに共通していえることが、
「矢を壁に放って、後からあたった場所に直径1ミリの的を書いて、あてたと言っているようなもの」
(本文より)であることだ。おもしれー。
ここからは僕の妄想で、本には書かれていない。
・・・こんな感じで、「論理的に問うに値しない」問いが日常に氾濫していて、
そういう問いを削るだけで、解決が飛躍的に近づく議論というのもたくさんある気がする。
もちろん、そういう「悪い問い」が人生を豊かにしていることは明らかだから、
「考えが豊かになる」という、「問うに値する意義」があるという見方を否定することはできないが。
「論理学」はとても応用範囲の広い学問で、
僕は全ての人間がある程度詳しく学ぶべきだとさえ思う。
というのも「考えること」を対象としているからだ。考えない人間などいない。
それから、これだけインターネットの情報が豊かになると、
もはや何かを「知っていること」自体にはあまり価値がないのではないだろうか。
キーボードを叩けば知りたいことは何でもすぐ知れる時代だ。
だから、「知ること」より、知ったことを「運用する能力」が積極的に鍛えられるべきで、
その根幹をなす「論理」、そしてそれを客観的に見る「論理学」というのは、
情報化が進むにつれ、ますます重要になるに違いない、とも思う。
・・・・という僕の妄想。
次は記号だらけの本格的な奴に挑戦してみるかな。