理性の中規模撹乱仮説

 生態学の考え方に中規模撹乱仮説というのがある。
環境的な撹乱(風、波、気候変動、山火事、洪水、除草や農耕などの人為撹乱も含む)が、
少ない場所では、その環境での競争力の強い生物種だけが生き残り、
多い場所では、多様な環境に適応できる撹乱に強い生物種だけが生き残る。
だから中規模な撹乱のときに一番生物種の多様性が高くなる、という考え方だ。


 今日も一人の人とも会うことなく終わった。
最近こんな日が多いんだけど、
作業も思考も、全部自分のペースでできるから、
精神的な余裕という面ではとてもゆとりがある状態だ。
感情:理性=0:100
がほぼ成り立っていて、常に意思が本気を出せる、ベストな集中状態が保たれる。


 感情というのはとても恐いと思う。
これだけ理性で冷静に考えられる自分がいながら、
その自分が、ちょっとしたことで頭に血が上ったり、
鬱になったりして、コントロール不能になってしまう。


 一方で、人と会わないと、感情が無さ過ぎることによって、
単なる作業機械、思考機械のようになっていく自分を感じる。
作業もはかどり、思考も深まるんだけど、思考の材料を与えてくれる他人がいないから、
どんどん偏った、人間味の無い状態になっていく。


 そこで感じたのは、やっぱりある程度は、感情に理性がかき回される方が、
豊かで多様な思考が生まれるのではないかということだ。
これは中規模撹乱仮説にそっくりだ。


 つまり、感情による理性の撹乱が少なすぎると、
理性の独り歩きで偏った思考しかできなくなるし、
感情による撹乱が多すぎると、
まともに意思を保つことができなくなり、
感情に左右されるような貧しい思考しかできなくなる。
結局は感情が程よく理性に介入してくる場合が一番豊かに思考できるのではないか・・・
という考えだ。


 そういうことなので、明日こそは人間と会話して、意識的に感情を発生させてみようと思う。
・・・・・う〜ん、こんなコト言ってたら人間関係に悩んでる人に刺されそうだな。