どしたんねそのキズ?って言われる

 先月作った顔の傷、治った気でいるけど、
光の当たり具合によっちゃまだ跡が目立つ。
年末年始、親戚に会うたびに説明しなきゃならないんだろうな。
めんどくせぇ。


 ちょっと考えたこと。
不幸な考え方しかできなくて、「自分は不幸だ」と思い続けて生きてきた人が、
ある日突然、発作を起こして倒れ、死んでしまったとする。
この時この人が、薄れゆく意識の中で、「自分はやっぱり不幸だ」と思えば、
その人の人生はやっぱり不幸だと僕は思うけど、
もしこの時、周りの人が一生懸命呼びかけてくれるのを聞きながら、
意識の無くなる最後の1ミリ秒でも、「こんなに心配されて、案外自分は幸せなんだな」と感じたとすれば、
その人の「人生」という観点でみれば、幸せだったのではないか、と思ってしまう。


 当たり前だけど、自分が幸せだと思ってる時は「幸せな瞬間」であり、
自分は不幸だと思ってる時は「不幸な瞬間」である。
だから「自分は幸せだ」と感じる時間が長いほうが得に決まっている、と僕は思う。


 だけど、どれだけ幸せに感じる時間が長くても、
「不幸な瞬間」の自分は、どう頑張っても不幸でしかない。
そう考えると、「幸せな瞬間」と「不幸な瞬間」を積分的に足し合わせて
「自分の人生は幸せか」と考えていたことは無意味な気がしてきた。
幸せ、不幸というのは、瞬間的にしか成立しない概念らしい。
だから、「自分の人生は幸せか」という問いに無理やり答えるなら、
最後に意識を失った瞬間の感情が重要なのではないか、と僕は思う。


 自分もいつ死ぬか分からない。
突然対向車線のトラックが突っ込んできたり、突然駅のホームから突き落とされたりしたら、
そんなことを考えるヒマなく消えてしまうけど、
不治の病にかかるとか、落ちるしかない飛行機に乗っているとか、
突然刺されて少しずつ意識を失うとか、ちょっとでも猶予があるとき、
自分で「幸せだった」と思いたいし、
何よりもそれを生きている誰かに聞かせてから消えたいと思う。


 ・・・なんか気付いたら死ぬことを考えてた。
感情について考えると大体こういう結論になってしまう。
あーきもい俺。