頭痛い

 今日は一日中コーヒと本だった。
知的欲望が他の欲望を押しのけてしまっている。
飯も食わずコーヒー飲みすぎて頭おかしくなって、
耳鳴りに耐えられずベッドに倒れこむまで脳を使い込んだ。
贅沢な生活だ。


 最近、自分は頭がおかしいのではないか、という、
訳のわからない妄想が頭から離れない。
そんなことを考えてしまう自分も嫌だ。


 「頭がおかしい」という表現は「頭がおかしくない人」
がいるからこそ成立する。だけど、その違いは何?
世界には、「現実的な人」「短気な人」「感情的な人」「暗い人」「良い人」「ダメな人」
といった感じで、思想とか性格とかで人間をカテゴライズする言葉がたくさんあるけど、
その基準が心の底から分からんくなってきた。


 そもそもなぜ、こういう言い回しが生まれたんだろう?
一人ひとり、驚くほど考えていることは違うハズで、
本来人間の数と同じだけのカテゴリーがあるべき、
つまり、カテゴライズ不可能だと思ってしまう。
「そう分けることにした方が、話すのに都合が良い場合もある」と言われても、
僕はそれを心の底から理解できない。基準が無いのに分けられるわけない。


前提1:一人ひとり考えていることは恐ろしいくらい違うのだから、
    僕は人間をカテゴライズすることはできないと思うし、それが心の底から理解できない。
前提2:世界には人間を思想や性格でカテゴライズする言葉が認められている。
前提3:そのカテゴライズによれば、世界で認められている言葉を理解できない人は「頭がおかしい人」であるらしい
 ↓
結論:世界によれば、僕は頭がおかしい人であるらしい、だけど僕はそれを心の底から理解できない。


・・・どの前提が間違っているのか?
こんな感じの推論が頭の中をぐるぐるしている。
自分でもキモすぎて小ゲロが出る。


 今まで興味津々だった心理学も、
「人間の心なんて絶対分からねぇよ」って感じで滑稽にしか見えなくなってしまった。
ただ、「体の形」と生きている「時間」と「空間」が、奇跡的に一致しているだけなのに、
「それなら心の中も一致しているに違いない」という根拠の無い先入観。お疲れ様です。



 話は変わるけど、natureを読んでいたら、ノーベル賞の特集ページで、
南部教授と、下村教授の所属が(US)になっていた。
世界ではそういう認識らしいことにちょっとショック。
本当は、「日本人すげぇ!」じゃなくて、「日本やべぇ!」となるべきところだったようだ。
まぁ、僕も当時は発狂するピープルの一人だったんだけどね。
http://d.hatena.ne.jp/tomotsaan/20081008


 はぁ、頭痛い。
風呂でラジオつけたら、α-stationELTの特集やってた。
曲も、声も、好きだ。今週ずっとやるらしい。STA(すこしテンションあがった)。