老化が始まりました

 4月の引越しに関連して、
最近色んなことが起こりすぎて脳がついていかない。
事務的な作業は淡々とこなす一方、
気持ち的には現実を受け入れられるまでのラグを味わっている状況。


 でも、思ったんだけど、「感情」なるものは、
ある事実が起こって、それを現実として受け入れるまでのラグがあるからこそ、
生じるものなのではないかと思う。
何が起こっても瞬時にそれを受け入れられる人間だとしたら、
人に褒められても嬉しさを感じることはないだろうし、
誰かが亡くなっても悲しみを感じることはないだろう。


 人間の精神も、社会の構造も、生態系の構造も、
分からないから面白いのであって、予想外のことが起こるのは当たり前で、
考えて、それを把握するまでのラグを味わうべきなのだと思う。
それが無ければ、生きるのはただの作業だ。

 
 それから、世界の全てのものを平等に疑い続けた結果、
全てのものは平等に無価値であり、無意味であることに気が付いた。
だけど、それだとあまりに空虚で無感情だから、
人々はそれぞれ、自分から産み出された先入観だけを頼りに、
ネタ的に、価値あるものと無価値なものとを分けて生きている。
幸福の原因も不幸の原因も、全て自分が作り出したその価値観に拠っている。


 何に価値を置くかは、人によって恐ろしいほど違う。
それは、決して他人には理解しえないほど違う。
だけど社会では、それぞれの人間が、「自分が価値を感じる世界」だけを持ち寄って
奇跡的に共存している。


 互いに決して理解しえない世界を持つもの同士が、奇跡的に共存している、
この事実自体が、受け入れがたい、とても味わい甲斐のあるラグを、毎度毎度提供してくれる。
最近、このことの真の意味に気付いてから、精神が恐ろしく安定している。
生物は生育環境に合った自然淘汰を受けて進化するけど、
環境変化の大きい地域では、生物は環境の変化が大きいコト自体に適応する。
僕の精神もそんな感じで進化を遂げたのかもしれん。


 なんか最近、抽象的に悩むことがなくて、何書いたらいいかホンマ分からん。
21歳になったし、この日記も路線変更しようかなぁ。