無気力人間

 ついに明日から引越しだ。未だに実感が沸かない。
けど、わりと攻めた決断を下したな、と自分でも思う。
少なくとも、同学年の大多数の人間が通う場所とは違う場所に通うわけだ。
1月の自分と「後悔しない」って約束を結んでいるから、
間違ったとは思ってないし、そう思い込むのに必死だ。
けど、やっぱり、何が起こるか分からない。不安だ。


 最後の片づけをしながら、
ふと、もう一度だけ御所を自転車で走っておきたくなって、
薄着で外に飛び出した。

あまりの暖かさに気持ちよくなって、
妙心寺まで行ってしまった。

ついでに仁和寺も。

平和すぎる。やばい。
今更ながら、行っておけばよかったと思う場所がたくさんでてきた。
もっと早くに京都徘徊の魅力に気付くべきだった。


 平和と言えば、最近感じることがある。
人類の歴史って、戦争が起こって、悲しみがあって、
「平和に暮らそう」という主張が起こるが、
そのうち、どこかに不満が溜まって再び争いになる、という繰り返しだと思う。
そうだとすれば、日本の話に限って言えば、
戦後〜今までの時代は、「平和を叫ぶフェーズ」になる。
そして、これまでどおりのサイクルが繰り返されるなら、
いずれどこかに不満が溜まって、再び争いが起こるのだろう。


 けど、今は過去と違い、テレビがあり、ネットがあり、教育も均一化、徹底化され、行き届いている。
これだけ情報網が整備された環境で平和が主張される機会はこれまでになかった。
このことによって、社会や人間観が新展開を迎えるのではないか、と妄想してしまう。


 僕は当然のごとく、「平和は良い、戦争は悪い」と思うし、
「色んな人がいるのだから互いに認め合って仲良く生きましょう」
という教育を散々受けて育ってきた。
同時に、ジャパニーズな学校生活を通じて、「ガキっぽいものは排除される」という先入観を得た。
だから、「自分の価値観を他人に押し付けて怒るのはガキっぽくてカッコわるい、
大人なら違いを認め合って、冷静に話し合って解決すべきだ」と思ってしまう。
教育のみならず、物語の世界や実社会でも、そういう大人が正義として描かれるのだから、
そう思ってしまうのは当然だと思う。


 だけど、違いを認め合うって、何?
違いを認め合った上で、みんなで楽しく暮らすのだ、と洗脳されてきたけど、
よく考えてみればこれは矛盾していて、みんなで楽しく暮らす、という事自体、
他人と自分に同じ部分があることを期待しなければ成し得ない発想だと僕は思う。
それに、違いを認め合った上で、と言うけど、違いを認めあった後には何もないと思う。
「違うもの」というレッテルを貼っておしまいだ。
違う奴と共有できるものはなにもない。
そして、情報化が進んで、人と人との結びつきをお金と電子情報が担ってくれるようになるにつれて、
この「違うもの」というレッテルを貼る作業が、とても心地の良いものになったと思う。
もはや、「みんなで楽しく暮らす」必要はなくなったからだ。


 例えば、ちょっと人付き合いで嫌なことがあれば、
まず、そんなことに嫌気を感じた自分を呪う。「お前はガキか」って。
で、すぐに、「違うもの」レッテルを貼って、
「こいつは自分と違う考え方なのだからしょうがないな」と納得。おしまい。
自分の主張をぶつけて、戦わせるようなことはできるだけしない。
違う奴と共有できるものは無いし、貴重な自分の時間の無駄だ。
これで互いに楽しく暮らせるのなら、それでいい。


 世界には、自分が我慢すれば平和に済む問題が多すぎる。
もはや、それが我慢なのかどうかも分からない。
相当我慢している気もするし、全く我慢などしていない気もする。
とにかく、黙って現実を受け入れて、
自分は何も主張しないのが一番消費エネルギーが少なくて済む。
それで困らない世界の仕組みも整っている。インターネット様様。
そしてその根本には、散々教わった、
「違いを認め合った上で、みんなで楽しく暮らしましょう」がある気がする。
生物の進化も、人類のこれまでの戦争の歴史も、ずっと争い中心に成り立ってきたけど、
ここにきて初めて、争わない世界ができたのかもしれない。


 これは、これまでの(争い中心の)見方からすれば、
とても非生産的で、無気力に見えるのかもしれない。
だけど、無気力な人は無気力だから、無気力に対して何も感じない。
僕自身、世界がどうなろうと、自分が死ななかったらどうでもいいし、
自分がしょうもない洗脳のせいで無気力になろうと、どうでもいいと思う。
反対意見を主張するのがめんどくさい。
だから、20代の選挙の投票率は3割なんだ。どうでもいい。
そんな考え方良くない、と言われても、どうでもいい。
いくら争い中心の古い世界で育った人が嘆こうと、無気力人間はなんとも思ってない。
今の世界は、「違うもの」レッテルを貼って反論を避けるのが簡単すぎる。
無気力が支配的になれば、たまにでてきたワガママ人間が、
やりたい放題やっても、皆がそれを受け入れて暮らしていく世界になるのかもしれない。
争うほうがめんどいもん。


 今日は暴れすぎたな。
まぁなんと思われようがどうでもいいわ。この主張自体、どうでもいいし。
引越し前でちょっと精神が不安定だということにしとこう。