中立人間に存在価値はあるか

 自分の意見を言うのが苦痛に感じる事がある。
多面的な見方を獲得しようとするあまり、
「本来は何もかもが無意味で、
物事に意味があるように見えるのは全部自分の思い込みのせいだ」
と考えるようになり、実際に世の中をそう知覚するようになってしまったせいで、
何を言うにしても、その裏にある根拠の無い思い込みに怯え、
自分の本当の意見なんかない事に絶望してしまう。


 「自分はこんな人間です」と言えるような人間になるためには、
思い込みをどれかに固定して、その欠点と付き合っていく必要があるのだと思うし、
その部分が「個性」と呼ばれる部分なのだと思う。
けど、ある思い込みを信じれば、別の思い込みとは対立するし、
また別の思い込みは見えなくなってしまう。
言い換えれば、「○か×か」を追求するあまり、
「問題はそこではない」という説を検証できない可能性がある。
これが怖くて、自分を固定できない。


 家庭の顔、学校の顔、オフィシャルの顔と、
場によってキャラを使い分けるのは当たり前だし、
集団と集団の付き合いが個人と個人の付き合いに置き換えられつつある今、
めんどくさいけど、必要な「顔」の種類はますます増えていく気がする。
そんななかで、できるだけ自分に柔軟性をもたせたいと思うのは当然だと思う。


 だけど、そうだと言って、徹底的に中立人間を追求すると、
相手に合わせるだけで何も発言できず、それはいてもいなくても同じことだ。
自分の存在を確かめるためにしょうがなく、
喉元に気持ち悪い感触を抱えたまま何か喋るけど、
それは僕の意見でもなんでもなく、
単なる思い込みだとしか感じる事ができない。
自分の本心でないから(本心なんて無いと思ってるから)、その発言に責任を感じられず、
数分後に平気で矛盾したことを言い出したりしてしまう。
そして、相手だけでなく、自分も混乱する。


 盲目を覚悟して自分を固定するか、
矛盾と戦いながら中立と柔軟性を追求するか。
まず、現代社会が、過去の例が全く当てはまらない
新しい段階に入りつつあることを理解しなければならない気がする。
アドバイスを求めて、「価値観の多様化と喪失」をキーワードに、
ポストモダン的思想の本を読んだりしてる。
色々読んだけど、超おもろい本は個別に紹介するとして、
普通におもろかった本を紹介してみる。

ポストモダン時代の倫理 (シリーズ「人間論の21世紀的課題」)

ポストモダン時代の倫理 (シリーズ「人間論の21世紀的課題」)

「複雑系」とは何か (講談社現代新書)

「複雑系」とは何か (講談社現代新書)

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書)

特に最後のやつは共感できる部分が多かった。
おすすめです。