キレイな世界に住みたいです

 今の世界(というか自分)に足りていないのは尊敬の心であるような気がしてきた。
何か一つのものを崇拝するべきだと言うわけではないけど、
世界はすごいものを素直にすごいと思わず、
なんとか同じ土俵に降ろして対等に見ようとする精神に溢れている気がする。


 どんな分野であれ、すごいと言われるようになるためには何らかの努力が必要だ。
何かを作ったり、何かを教えたりするのも、すごいことで、努力が必要な事だと思う。
尊敬はその努力に対する報酬であるとも言えるんじゃないだろうか。
どれだけ向上心があっても、やっぱり他人に認められることなしには頑張る気になれないだろう。
尊敬がなくなれば、頑張る人がいなくなって、残念な世界になる気がする。


 極端なコトを言えば、テレビで一流の人が失敗しちゃう場面とか、
偉い人がふざける場面とか、あまり流さないほうが良い様な気もする。
流すなら現実にその人がやるのと同じ頻度で流すべきだ。
なんだか、これは他人を素直に尊敬することができない空気を作り出している気がする。
あるいは、そういう空気が先にあって、テレビがそれに応えているのかもしれん。


 さらに思うのは、
すごいならすごいで素直に尊敬すれば、尊敬される側ももっと頑張る気になるのに、
なんかすごい人が出てきても、「オーラ」だの「変わった人」だの何だの言って、
「自分」ではなく「外部」によって意味付けされていることにして、
尊敬を逃れようとしているんじゃないかということだ。
そうでなければ、徹底的に粗探しをして、その人の悪いところを発見して安心しようとする。
(これがまさに俺)
そんな目で見れば、尊敬できる人間はこの世に一人もいないに決まっている。
それで勝手に世間に不満を抱いてブーブー言ってることほどおかしな話はない。
(まさに俺)


 もうちょっと言えば、今首相やめろ、みたいになってるけど、
あの人、世間から尊敬されたことあるのかなって思う。
尊敬すべき地位だからこそ不甲斐なかったら叩くべき、という意見もあるだろうけど、
尊敬すべき地位であるという前提が忘れられて、
もはや誰が就こうが尊敬されない地位になってしまっているような気もする。
人生をかけて責任莫大な仕事をしてるのに、尊敬されず、粗探しされて叩かれて、
それでも「最後までやります」って言ってるのは実は凄いんじゃないかと最近思う。


 自分含め、世界は「自分は認められたいけど他人は認めたくない症候群」 
にかかっている気がしてきた。こんな世界がうまくいくわけない。
考え方を変えなければいけない。