細菌

 今日はひたすら琵琶湖の細菌数えよった。
計10000匹くらい数えたんだけど、琵琶湖の水1mlあたりに1000000匹以上おるから、
結局水10μl分以下しか数えてないんだよね。


 1日10μl数えて、人生30000日だとしたら、死ぬまで数え続けても300ml。
一生かけても、琵琶湖で汲んだコップ一杯の水の中にいる細菌も数えられない。
しかも最適条件ではそいつらが30分に一回とかの勢いで分裂して増える。
自然は恐ろしいで。


 カウントはあまりにも単純作業だったので小脳に任せることにして、
大脳には「バカ正直はバカか」というテーマについて考えさせた。


 その結果、嘘や隠し事したり、相手の顔色を伺って行動を変えたり、
裏で色々計算して行動したり、そういうもんは、
全部良くないからできるだけ辞めようと思っていたのが、
それはガキ向けの分かりやすい教育による洗脳であって、
実際の世界はそんなに単純ではないことが分かってきた。


 すなわち、そういうのの中にも、単に自分の利益のためにするものと、
誰かのために、罪悪感を感じながら仕方なくするものとがあるということだ。
だから、そういう態度を全部一緒にして、単純に悪として片付けるのは、
人間関係の構築に必要な努力の放棄でしかない。


 分裂するだけの呑気な細菌と違って(まあ、増える分食われるんだけど)、
生物の歴史上屈指の難易度を誇る現代の人間界では
キレイな生き方だけではやっていけないらしい。


 「素直」「正直」という大義名分のもと、
自分の思うこと、知ってることを率直に言葉にする態度、これは、
一つには、相手の顔色を伺わない、裏に計算の無い、潔い態度に見えるかもしれない。


 しかしときにその態度は、
人間関係でどうしても必要な嘘や隠し事に対する罪悪感から逃避し、
さらにその罪悪感を相手への負担
(要らないコトを知ってしまったことによるダメージ、知らせた人に対する複雑な心境の処理など)
に変換してしまうという態度でもあるんじゃないだろうか。


 僕は今まで運よく(無神経で)このことに気付かず、
「仕方なくつく嘘」による罪悪感を味わわずに暮してきた。
それは、本来僕が負うべき罪悪感を、いつも周りの誰かが変換して、負担してくれていたからだろう。
そのくせ、「自分の利益のためにつく嘘・隠し事」は無くそうとしつつも結構あった気がする。
しかもそんな身分で、「世の中嘘とか汚いことばっかりだ」みたいなんを吠えていた。
ホンマモンのクズとしか言いようがない。


 急には変われないが、「罪悪感と引き換えに仕方なく嘘をつかなければならないこともある」
という意識で、視点の再構築をしなければいけない。
何を言って、何を言わないか、もっと真剣に考えて生きる必要がある。


 こんなん世界の常識かもしれんけど、
自分としては2月に世界の全てが無意味であることを発見して以来の大発見だった。
なんのこっちゃ。