5日くらい人間と会話してない

 毎日家に帰ってくるとドアノブにクモが巣作ってる。
しかもたぶん同じやつ。よっぽどそこがいいんだろうか。
なんか愛着がわいてきた。


 今朝のテレビでやってたんだけど、
アメリカの金融会社で「カタストロフィー債」なるものが人気らしい。
よく覚えてないけど、大体こんな感じ↓


 金融会社が、地震や台風などの天災分野で最先端の研究者を雇って研究させ、
算出された世界最先端の天災予測データを引っ提げて、保険会社に行く。
一方、保険会社にとっては、地震や台風が起こると保険金支払いで
自分が潰れるかもしれないというリスクがある。
だから、そのリスクがデータによって数値化されれば、
双方の間でリスクをお金としてやりとりできるようになる。
そこで合意が成立し、金融会社は保険会社からリスクを買う。
そしてそれを債券にして投資家に売る。
天災がなければ、投資家は利息がいっぱいもらえて、
なんか起これば投資された金は保険会社の保険金に回されて、
投資家は損をする、という仕組みらしい。


 ようするに、保険会社の保険?
債券がどうの、リスクがどうの、ってのは、詳しいことは良く分からない。
ただ、天災の中にテロが含まれていたりして、なんか汚いなぁと感じた。


 しかしそんなことより、僕にとって興味深かったのは、
科学者が金融会社の犬として働いている映像だった。
しかも、テレビを見る限り、部屋の雰囲気なんかからして、
研究室なんかよりも断然高級な環境を与えられているように見えた。
給料もすごくいいんだろう。


 確かに、多くの科学が最終的にはお金になっちゃうんだろうと思うし、
それが科学技術の役割でもあると思う。
だけど、それが間接的ではなく、「科学者が金融会社に雇われる」という、
あまりにもダイレクトなやり方だったので、見てて少し恐くなった。


 じゃあ反対に、「お金にならない研究」はこの先どうなっていくのだろう?
理学系の人はよく「基礎研究を軽視していてはいつか科学は行き詰る」って言ってる。
学部の入学式では、
「ここは100年後、1000年後に役に立つかどうか分からない学問をするところです」
と言われたのが強烈に印象に残っている。
そして最近インパクトがあったのが、コレ。
http://www.sci.kyoto-u.ac.jp/modules/tinycontent1/index.php?id=5


 でかいプロジェクトでガンガン流行の分野を追い回し、
目先の利益、注目に即した研究しかできない世の中になったら、
それは科学の終わりでもあると思う。
そして世界は確実にそういう方向に向かっている気がする。
今、何年もかけて一つの山を調査して、やっと論文一本、みたいなことをやっていたら、
確実に研究者として淘汰されるだろう。
だけど、そのようなやり方でしか見えてこないものが存在することも明らかだ。
これもまた、効率の悪いものは捨てられるという、ダーウィニズムのルールなんだろうか。