もう8月か

 院試の勉強がつまらない。
試験で点数を取るためには、限られた時間で、
とにかく効率よく、出そうなトコだけ覚える勉強が必要だ。
何よりも効率主義。それは、試験勉強が「目標のある」勉強だからだと思う。
どんなしょうもない語呂合わせでも開発して、覚えてやる勢いが必要だ。


 だけど実際は、根本的な原理やキーワード同士の繋がりを一緒に勉強しないと、
本当に理解したことにならないし、なかなか記憶に残らない。
そしてなにより、そういう効率主義的勉強はつまらない。
やっぱり、「どうしてそうなるのか」「それがどう繋がっているのか」
「身近な例で言うと何があるか」といったことを考えてみることで、
それを知ろうとする好奇心も沸いてくるし、
具体的な印象になって記憶に残るのだと思う。


 学部の受験勉強してた時は気付かなかったけど、
大学に入って、本当に好奇心から勉強するという事を体験してみて、
あの頃は本当につまらなくて効率の悪い勉強をしていたのだな、と思う。
今思えば、あの頃の勉学の原動力の大部分は大学のネームバリューにあったのかもしれない。
もちろん、そうやって無理やり詰め込んだ知識が今役に立っていることは否定できないけど。


 ガキに物事を教える難しさを知らんから、適当に言うけど、
学校で教えるべきなのは、「知識そのもの」ではなくて、
「なぜそれが面白いか」というトコなんじゃないだろうか。
「その知識がいかに世の中や自分と繋がっているのか」というコトをしっかり伝えて、
ガキを入口まで誘導することさえ出来れば、
後は面白くてしょうがなくなって、勝手に勉強すると思う。
今はネットもあるし、興味さえあれば知識は自分でいくらでもゲットできる。


 もしもガキが、ただカリキュラムを消化するために学校に行き、
「先生に教わった」という事実に満足して、
それについて自分で考えることなく日々を消化しているとするなら、それは愚の骨頂だ。


 ところで、今日は近所の大学の試験明けの金曜日で、
花火大会があったこともあって、学校の帰り道が幸せな人間で溢れかえってた。
それ見て、「自分はこんな不毛なのに、くそ」と思うか、
「こんな幸せの溢れる国・時代に生まれて良かった」と思うかで
全く気分が変わることに気付いた。
本心が後者に近づけば、より得な思想を獲得できるに違いない。
なんか宗教的発想だけど。