なんか絶好調。勘弁して。

 年明けから早速、哲学的問いが後を絶たなくて困ってる。時間とは何か、人生とは何か、幸せとは何か、現実とは何か、社会とは何か、論理とは、感覚とは、感情とは、他人とは、生命とは、存在とは、愛情とは、創造とは、労働とは何か。なるべくこういうことを考えないように作業に没頭していても、ふとした瞬間に妄想世界に引きずり込まれる。たとえば、ふと楽しくなったり、悲しくなったり、恥ずかしくなったりした瞬間、「今の感情はなぜ発生したのか」みたいなことを真剣に考え始めてしまって、作業が手につかなくなる。いったいどうしたらいいんだ。


 ところで、僕はこうして考え出した哲学的妄想の数々を、是非とも他人のそれと戦わせ、吟味し、互いに向上させたいと考えている。みんなそれぞれ考えていることがあるのだろうから、互いに公表して共有すれば面白いに決まっている。なのに、どうも会話の場面ではそういう話題が出にくい。このことが僕には不思議だ。みんな話せばいいじゃん。なのになんかむしろ、あえてそういう会話が避けられているような雰囲気さえ感じる。わかんねぇから、なんでそうなるのか考えてみた。

・そんな幼稚な問いを発する時代はとっくに過ぎたし(真の大人説)
・そんなこと熱心に語るやつは痛いだろ(空気読解教説)
・面白いよ、でもね、こういう場でする会話じゃない(メタ空気読解教説)
・そんなの考えても答えなんかないよ(悟ったフリ説)
・そんなの考えるのめんどくさいわ(思考放棄説)
・そんなの考えてるのお前だけじゃね(脳の構造が違う説)
・そんなの考えなくてもいいじゃんか(幸せ人間説)
・そういうものは、各自が心にしまっておくもので、軽々しく口にするモンじゃない(哲学崇高説)
・答えは人それぞれなのだから他人と語っても噛み合わないよ(前提を結論にしちゃってる説)
・他人の話とか興味ないし(他人に興味無い説)
・お前の話には興味ないし(個人的に興味持たれてない説)
・お前の話を聞いているとイライラするんだよ(嫌われてる説)
・それもまぁ面白いけど、もっと面白い議題があるよ(現実万歳説)
・そこまで言葉にされるとなんか嫌だなぁ(灰色の世界の住人説)
・話がつまらない/長いんだよ(言語力不足説)


 あぁ、分かった。こんなこと考える暇も無いくらい、強制的に忙しくなれば解決するかも。いや、でもそれは耐えられない気がするなぁ。妄想が無いと病む気がする。どうなんだろう。考えよう。ああでもまずは、この暴れ脳を押さえつけて卒論書かせるのが先だよな。まさに雑念が多すぎる!