裏切りと騙しについて

 裏切りや騙しって、「信は疑に勝てない」という非対称性を悪用した、人類が開発したもっとも残虐で鬼畜な行為だと思う。誰も裏切らずに生きるにはどうすればいいんだろう?最近よく考える。
 難しいのは「裏切りかどうか」を判定するのは自分でなく相手だということ。例えば、詐欺って被害者に「騙された」という自覚があって初めて成立する。実は見えていないところで、被害者に騙された自覚が発生しないまま、お互いに気持ちよく「解決」した詐欺が結構あるんじゃないかと思ったり。拡大解釈すれば、宣伝でモノを買わせる行為も「自覚なき詐欺」の一種ですよね。「宣伝と違うじゃんか」と思われて初めて「騙された」という自覚が発生する。しかも、「宣伝と違うじゃんか」と思うかどうかは人それぞれだったりするんでややこしい。
 そう考えていくと、何が裏切りで何が裏切りでないかなんて考えてもホンマに分からん。いかなる善意でも相手が裏切りだと思えばそれは裏切りだし、いかなる悪意でも相手が裏切りだと思わなければそれは裏切りではない。なんだよ、自分ができることって何もないじゃんか。考えても意味ねー。


 あと反対に、裏切りが怖すぎて、裏切られる可能性を念頭に置かずに何かを信じることができなくなってきている気がする。まーこれはそもそも「信じてない」にカテゴライズされるのかもしれんけど。大人の世界ってほんま建前の応酬戦ですよね。本当に本音が無いんじゃないかと思うくらい、余計なものまで疑ってしまってるわ。ホンマ汚い男やで。
 そんなこと考えながら電車乗ってたら、隣でオタクっぽい人が甲高い大声で早口でゲームの解説してて、これは絶対に本音だな、って安心した。