語りえぬものについては沈黙しなければならない
研究室で盛り上がった会話。
自分 「科学は『仮説→検証→仮説→検証→仮説→検証→仮説→』の繰り返しであるので、検証できない仮説は無意味である。」
相手 「今は検証できない仮説も、いつかは検証できるようになるかもしれないから、それを世に提示することには意味がある。」
自分 「その立場だと、検証できないデタラメでただ難解な仮説にも意味があることになってしまう。」
相手 「それは極論だ。程度問題であって、世の多くの仮説は、今すぐでなくとも現実に検証されうる範囲内にある。多少行き過ぎな感があっても、一歩先ではなく、二歩先、三歩先を見据える貪欲さが科学には必要だ」
自分 「一歩先も見えてないのに、二歩先を考えても意味無いだろ」
相手 「・・・ああ、そこが違うのか、理解理解。」
自分 「なるほど。まぁ、色んな考えの人が科学には必要だからね。俺みたいなんもいればお前みたいなんもいてちょうど良いんじゃね」
こういう会話ができる相手がいるというのが今の環境の最高の魅力だ。
自分も相当実証主義寄りだけど、この会話自体も実証主義的な終わり方をしている気がする。互いの立場の違い(=これ以上検証できない)が明らかになったらそこで会話を止める、とても合理的だと思う。