99パーの人には興味の無い話
科学者のありかたを考えるセミナーに参加してきた。「研究者は自分の好きなことをやっていればいい」という時代が終わりつつあるというのはどう考えても否定できない事実である一方で、「好きなことをやりたいから研究者になる」というのも事実である。だから社会と科学の間にある壁を考えるとき、「専門馬鹿」のレッテルを貼って研究者側だけに責任を押し付けるのはおかしいと思う。たしかに研究者は研究者で社会との繋がり(端的に言えば研究費の出処、例えば税金)をもっと意識していかなければならないが、社会の側も、「知的好奇心に突き動かされて真実に挑む人々」を長期的ではあるが社会に利益をもたらす財産としてもっと認知していかなければならないのではないだろうか。このまま科学と社会の溝が埋まらなければ、バランスの取れた人ほど将来を見越して研究者を諦め、残るのは本当の「専門馬鹿」だけになってしまうということもありうる。これでは本末転倒だ。
参考文献。
- 作者: 潮木守一
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2009/10/11
- メディア: 単行本
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ところで、今日は偶然にもピアノの生演奏を聞く機会があった。いやぁ、迫力があった。一人の人間があれだけ部屋の雰囲気を操れるなんて凄すぎる。その人は僕よりもだいぶ年下だったんだけど、かっこよすぎて鳥肌立ちっぱなしだった。楽器が弾けないというのは考え方によっては結構なdisadvantageなのかもしれない。