99パーの人には興味の無い話

 科学者のありかたを考えるセミナーに参加してきた。「研究者は自分の好きなことをやっていればいい」という時代が終わりつつあるというのはどう考えても否定できない事実である一方で、「好きなことをやりたいから研究者になる」というのも事実である。だから社会と科学の間にある壁を考えるとき、「専門馬鹿」のレッテルを貼って研究者側だけに責任を押し付けるのはおかしいと思う。たしかに研究者は研究者で社会との繋がり(端的に言えば研究費の出処、例えば税金)をもっと意識していかなければならないが、社会の側も、「知的好奇心に突き動かされて真実に挑む人々」を長期的ではあるが社会に利益をもたらす財産としてもっと認知していかなければならないのではないだろうか。このまま科学と社会の溝が埋まらなければ、バランスの取れた人ほど将来を見越して研究者を諦め、残るのは本当の「専門馬鹿」だけになってしまうということもありうる。これでは本末転倒だ。

参考文献。

職業としての大学教授 (中公叢書)

職業としての大学教授 (中公叢書)

今まで読んだ科学論本の中で一番説得力があった。日本の学問上の主な競争相手であるアメリカ・イギリス・フランス・ドイツの大学事情を客観的なデータを挙げながら紹介し、日本のそれの特徴を検討する内容。筆者は博士課程の新規募集停止を提言しているが、そこまで行かなくとも修士号と博士号の審査をもっともっと厳しくして、本当に認められた人間にしか学位を与えないようにする必要があるのではないかとは思う。あとは今の老害構造をなんとかすべき。教授より実績のあるポスドクが存在するとか酷すぎる。これは時間が解決するしかないのだろうか。暴動が起こってもおかしくないレベルだとは思うけど。


 ところで、今日は偶然にもピアノの生演奏を聞く機会があった。いやぁ、迫力があった。一人の人間があれだけ部屋の雰囲気を操れるなんて凄すぎる。その人は僕よりもだいぶ年下だったんだけど、かっこよすぎて鳥肌立ちっぱなしだった。楽器が弾けないというのは考え方によっては結構なdisadvantageなのかもしれない。