本音が無くなった

 世渡りの上手い人、誰とでも上手く付き合える人をよく観察していると、往々にして「承認欲」をうまく客観視できてるな、と思う。
 (平たく言えば、「承認欲」とは「褒められたい欲」や「愚痴とか自慢とかを聞いてもらいたい欲」のことだ。人間が生きていくためには「自分の存在を確認する手段」として他人に承認してもらうことが不可欠だ。だから、この「承認欲」は、人間の感情のかなり根本的な部分に根ざしていて、個人的には人間の三大欲求(食欲・睡眠欲・性欲)と同列にして語っても良いレベルのものだと思っている。)

 まず、世渡りの上手い人は「他人の承認欲」を客観視する。要は、相手が「褒められたがっている」あるいは「愚痴とか自慢とかを聞いて欲しがっている」状態に陥っているのをいち早く見抜いて、素早く聞き手に徹する能力に優れているということだ。
 さらに、世渡りの上手い人は「自分の承認欲」も客観視する。要は、自分の心に発生してきた「褒められたい欲」とか「愚痴とか自慢とかを聞いてもらいたい欲」にいち早く勘付いて、それに解説をつけ、自分でコントロールできるということだ。
 つまりまとめると、世渡りの上手い人は、「自分の承認欲を抑えて、他人の承認欲を満たす人間」であるということだ。

 このことを頭に置いて世の中を見渡すと、色々な被害妄想に浸れて面白い。まず、世界のほとんどは演技と茶番なのではないかという気がしてくる。そして驚くほど多くの人間が演技に騙されてしまっていることに絶望する。世界はなんてチープなんだ。そして「自分だけは騙されまい」という気分になる。たとえば、人に褒められても「はいはい」って思ってしまうし、失敗に対して同情されても「気持ち悪い」って思ってしまう。
 そんで、こんなことばかり考えていると、段々自分も演技がうまくなってきて、自分自身、自分が言ってることの何が演技で何が本気なのか全然分からなくなってくる。そして演技で他人を動かすことに罪悪感を感じなくなっていく。純粋に他人を褒められなくなるし、純粋に愚痴を言い合ったりできなくなる。こんなに自分を曲げていいのか?もしかすると、もう、演技をしている自分が本当の自分なのではないか?一人になりたい。一人になれば演技をせずに済む。こうやってますます本音を語る機会がなっていく状況に孤独と絶望を感じていく。
 世の中にはこれと似たことを考えている人間がたくさんいると思う。そういう人と、互いの演技を見抜きあった上で関係を築くこと、これこそが真の友情であると思う。