野暮なお話

 僕は小説が好きでない。正確に言えば、嫌いではないが、新書や実用書のような論説的な本に比べて好きではない。だから、僕は小説を読む暇があったら新書を読む。
 小説を読んでいると、「言いたいことがあるなら可能な限り簡潔な文にしてくれ」という気分になる。確かに、小説のような「お話」は具体例としては有用だけど、それはあくまでも、メインである抽象的な話を分かりやすく伝えるための道具でしかない。せめて、お話部分はお話として楽しむとしても、最後に「結局何が言いたかったのか」ということくらいは明記してほしい。
 こういう話をすると、「言いたいことが文章にできないから小説で書くのだ」と言われることがあるけど、僕個人の感覚としては、「言いたいことがある」ということは「それを言える(文章化できる)」ということであると思うから、それを書けない(言えない)ということは、「本当は言いたいことなんてないんでないの?」と言いたくなる。


 つまり、僕にとって小説は、「言いたいことがあってもそれをはっきり言わないもどかしい文章」か「そもそも言いたいことが無い、目的のないただのお話」のどちらかだということだ。前者なら僕は同じ人が書いた新書を探すだろうし、後者なら僕はその時間を新書を読むのに使うだろう。僕が小説を読むとすれば、「世間に多大な影響を与えた文章を知る」という目的で有名作品を読むときだけだ。
 小説なんてそもそも「お話」なのだから、こんなことを言うのは野暮なのは分かっている。だけど、なんというか、本屋に並ぶ小説の数を見ていると、なんでこんなのがこんなに読まれているのだろうか、という気分になったので、自分の考えをまとめてみたくなった。