夢を諦める

と言ったら語弊があるけれど、研究者になるという長年の目標を捨てる決断に差し掛かりつつある今、とても複雑な心境だ。今日も昼過ぎまでずっと布団の中で考え事をしていた。精神が落ち着くまではもう少し時間がかかるだろう。
 今日はなぜ僕がこのような決断に至ったのかをまとめてみたいと思う。大きく分けて、「研究者が嫌だと思うネガティブな理由」と「就職を魅力的に思うポジティブな理由」の二つの理由が考えられるけど、前者に関してはすでに散々検討したために、今も昔も考えは変わらなくて、今回僕の背中を押すに至ったのは、後者のポジティブな理由が増えてきたことによるものが大きい。それは就職活動が始まっていく中で実際に社員の人と話してみて感じたことや、それがきっかけとなって仕事について真剣に考え始めた結果思ったことがまとまってきた結果であると思う。
 まず前提として、僕が就職先として考えているのはコンサルティングファームシンクタンクの二択であるということがある。その上で、なぜ僕が就職という選択肢を魅力的に思ったのかは、「仕事内容が魅力的だから」「そこで働く人が魅力的だから」の二点に大別できる。


 まず一つ目の「仕事内容が魅力的だから」という理由について。そもそも僕がなぜコンサルやシンクタンクに魅力を感じているのかというと、「変化し続ける世の中を眺め続けるポジションにいたい」という願望が強くあるからだ。よく、この業界に対するネガティブな意見として、「結局アドバイスしかできず、実際にモノを動かすのは現場の人間だ」というものがある。確かに、現場のことは現場の人間が一番良く知っているはずだし、分析屋は現場の最終決断に関わることはできない。けどじゃあ、何でコンサル/シンクタンクという職業が必要なのか、ということを考えてみると、それは「現場の人間には見えないもの」が存在するからだ。そしてそれは、実際に変化の中に身を置いている現場の人間には到達しえない、世の中の変化そのものを客観的に見る視点だ。
 常々、「メタなもの」に興味を示す僕にとって、このことはとてもな意味を持つ。物を発明したり、作ったり、売ったり、運んだりする仕事は、目に見えるし、現実味がある。だけど僕にとって、その現場よりも、そういった世の中がどう変わっていくのかということ自体のほうが面白い。そしてそのような視点を持つこと自体が、コンサル/シンクタンクの仕事に他ならない。もちろん、現場の仕事でもそういった知見は必要だろうし、銀行のような投資機関でも世の中の流れに関する知識は大きく必要とされるだろう。だけど僕は、自分が生き残るためでもなく、金儲けをするためでもなく、純粋に変化し続ける世の中を眺めていたい。そのためには、コンサルかシンクタンクという選択肢以外にありえない。


 次に二つ目の「そこで働く人が魅力的だから」という理由について。これには、見た目の雰囲気とか、話し方とか、考え方とか、笑わせ方とか、様々な要素があるのだけれど、敢えて一言で言うならば、ありきたりだけど、「論理的である」ということになるだろう。会社説明会や面接で会った社員の人たちは、要点だけを簡潔に考え、話し、聞くのがとにかく上手い。一つ印象深かったのが、僕は「要は」とか「例えば」という言葉を使うのがスマートな話し方だと思っていたのだけれど、ある面接官の前でこの話し方をしたら「分かったから早く次の話をしてくれよ」という反応をされたことだ。本当に論理的な場では一回の説明で全てが共有されるようにすべきで、「要は」とか「例えば」は蛇足以外の何でもない。このレベルで会話ができるのは僕にとって衝撃だった。
 これは人によっては「こんな人間味の無くて偉そうな奴と一緒に働きたくないわ」と思われるような態度かもしれないが、どう感じるかは人それぞれだ。僕は話していて、「自分ももっと密度の濃い言葉を使えるようになりたい」「こういう人たちと一緒に議論して問題を解決したい」と感じた。もちろん、論理性だけではなく、僕が欲している視野の広さや発想力に関しても一流で尊敬を感じるし、雑談をしているときに感じる人間的魅力に関しても共鳴できる部分が多い。このような感想から、僕はここに入って自分もこのような人間になりたいと思うようになったし、反対にこここそが僕が進むべき場所なのではないかとも思うようになった。


 以上、僕がコンサル/シンクタンク業界を目指す二つの大きな理由に関して書いてみた。他の理由や、コンサルとシンクタンクの違いに関しても、時間があるときにまとめてみたいと思う。この業界の門戸はどこも狭くて大変だけど、研究者として職を得る大変さに比べれば、そのための努力は大した苦でないとも僕は思う。絶対に入りたい。
 とりあえずは明日から学会で筑波へ行ってきます。「命を懸けて」研究をするのは今回で終わりだ。帰ってくるまでに気持ちの整理をつけたい。