自信が無いのは考えている証拠

 新しいことを勉強し始めたとき、新しい仕事を始めたとき、新しい問題に直面したとき、新しいアイデアを思いついたときのように、何か新しくモノを考え始めるときの、時間と考えの深さと自信の関係をグラフにするとこんな感じになると思う。

  1. 新しくモノを考え始めるとき、まずは、目的は何か、全体像はどうなっているか、どういう方向で始めたらいいか、ということを考え、要領を把握することから始まる。この段階では、時間をかけても思ったように考えが進まない。したがって、最初に持っていた自信はまずこの段階で打ち砕かれる。
  2. だが、だんだんと思考を深めていき、取り組むべきものの全体像が見えてくると、やるべきことが明確になり、時間当たりの成長量は飛躍的に伸びる。自分がデキるようになっていく様が愉快で、失われていた自信を一気に取り戻す。
  3. しかし、さらに思考を深めていくと、だんだんと新しいことが少なくなってきて、伸び悩むようになってくる。と同時に、成長に夢中で見えなくなっていた自分の立ち位置を冷静に把握できるようになり、自分が「ようやく一人前になったにすぎない」と自覚するようになる。周りを見れば自分と同レベルの人間なんて掃いて捨てるほど存在するということに気づき、再び自信を失う。
  4. そんな苦悩が氷解するのは「もう自分は十分やった」と思えた瞬間だ。この「極めた」判定を超えて初めて、自分の考えに基づいて、自信を伴って決断を下したり、自信を伴って発表できたりするようになる。

 自信が無いことそれ自体は「考えている証拠」であり、問題では無い。自信の無さは思考によっていずれ解決されるからだ。言いたいのは、今挙げた「極めた」判定をいつ出すのかが難しい問題だということだ。判定が早い人は自信もあって早い決断ができるが、考えの深さは未熟かもしれない。反対に、判定の遅い人は、納得するまで徹底的に考えるけど、自信が無い時間が長いし、考えている間にタイミングを逃してしまうかもしれない。前者は楽観主義者、後者は完璧主義者であり、どちらも良いところと悪いところがある。そこそこのタイミングで落としどころを見つけるのって本当に難しいなと最近思う。