人間の一貫性について

 一貫性の無い人間は信頼されない。言動と行動が一致しない奴や、今とさっきで言っている事が矛盾している奴がいたら、「何も考えて無いんだな」と思ってしまう。それに、一貫性がない人間にはキャラがない。キャラというのは「一貫した何か」に対して貼られるレッテルだからだ。昨日の自分と今日の自分が同じ存在であるため、自分が他人と交換不可能な存在であるためには、一貫性は無くてはならない。
 その一方で、僕は世の中を見ていて、「一貫性ってそんな大事か?」と思うことがよくある。考え方を変えることを「軸が無い」といって叩いたり、発言に対してに過剰に責任を求めたりするのを見て「めんどくさいな」と思うし、自分のキャラを保つために不自然な演技をしていたり、言った事は最後までやるという不要な根性論に縛られたりしている人をみると「不自由だな」と思う。
 人間の心なんてそこまで一貫してない。色んな情報の影響を受けながら自分はどんどん変わっていくし、強烈な経験をすれば2週間もあれば根本から変わる。変わることは悪いことではないし、当たり前のことだ。完全な一貫性なんて誰も達成できないんだから、不必要に一貫性にこだわってもしょうがないじゃん、と思う。
 ただしこれは「場当たり的に生きるのが良い」と言う意味ではない。適当な人間はやはり信頼されないし、キャラの無い交換可能な存在にしかなれない。重要なのは、「何が自分を変えたのか知っている」ということだ。言い換えれば、今の自分と過去の自分が同一人物であることを人に納得できるように説明できるかどうか、ということだ。それができれば、信頼を失うこともないし、キャラが無くなることもない。「自分」というストーリーの一貫性は保たれるからだ。
 むしろ、そういう一貫性の無さを持つ人間のほうが、一貫性を主張してくる人間より信頼できる。一貫性というカバーに覆い隠されて無い、様々な葛藤に苦しむ本当の自分を出してくれているからだ。不要な一貫性にこだわって生きるより、自分の変化に素直になるほうが、楽だし、色々深く考えるきっかけにもなっていい。