「どこへ行くか」ではなく「何をするか」だ

 インターン二日目。昨日・今日と、朝8時から夜10時まで会社にいたんだけど、僕が来るときも帰るときも社員の人は普通に働いていた。しかもすごい高密度で仕事をしている。滋賀では割と研究頑張っているほうだと思っていたけど、まだまだゆとりがあるなと思った。
 労働時間に関しては、僕は「平日6時間睡眠・週休1日」が可能である範囲ではいくら長くても構わないと思っている。もちろん、仕事がクリエイティブで楽しいことが前提だけど。そもそも、研究やコンサルの仕事って「仕事さえやっていれば時間の使い方は自由」みたいな性格があるから、「労働時間」という概念自体無意味だしね。一方で、両者とも「どこまでもやることがある」職業だから、だらだらやっていると無限に働けてしまえて、「今日は休む!!」と決めてしまわない限り、永久に目先の仕事に追われ続けることになってしまう。時には本を読んだり妄想に耽ったりして広い範囲のことを考える必要が絶対にあるし、生きるためには遊んだり、人付き合いをするための時間が絶対に必要だ。うまいこと仕事に見切りをつけて、そこをスパっと切り替えられる人が一番楽しく生きられるのだろうなと思っている。


 あと、もう一つ今日思ったんが、「どこへ行くか」でなく「何をするか」が重要だということ。今まで「就職⇔進学」という軸で進路を考えていたのが、最近になって「会社ごとの環境の違いは就職と進学の違いに匹敵する」と思うようになっていたんだけど、さらに今回インターンで見えてきたのが、「会社の中でも一人一人の社員は全然違う」ということだ。確かに、会社ごとの環境も全然違うし、自分に最適な環境を見つけることはとても大切だけれど、所詮それは環境に過ぎない。自分を決めるのは、自分であって、環境ではない。つまり、重要なのは「その環境で自分がどう生きるか」ということだ。環境を活かすか殺すかも全て自分次第だ。
 こう考えると、進学という選択肢もひとくくりにできないなと感じる。生物系と言えども「博士課程→ポスドク→大学教員」というコースが唯一というわけではないし、だいいち教授になるにしても、僕の周りには尊敬できる教授も、尊敬できない教授もいて、千差万別だ。今自分が進学に対して抱いている印象も、色んな他人を見て、自分が勝手に作り上げた印象にすぎない。自分が選ぶなら、別に博士をとったあと、本を書いて儲けることを考えたっていいし、起業してもいいし、水族館のお兄さんになったって構わない。自分が考えうる選択肢は、全て自分で選択できる。他人は参考にならない。
 だから、「どこへ行くか」を考えることはつまらない。それは、自分の運命を環境に委ねていることと同値だからだ。主体的で、ユニークな存在になるためには、「何をするか」を考え、その環境で前例がない人間になるくらいの勢いが必要だと思う。