時間がどんどん過ぎていく

 就職決まったけど、毎日大体8-20時で学校にいるし、土日もどちらかは研究しているので、あんまり暇というわけではない。「今しかできないこと」と「今のうちからしておくべきこと」をするべく頑張っているんだけど、なかなかね。たくさんのことに優先順位をつけていく良い練習にはなっているけど。


さて、面白い本を読んだので紹介。そこそこ有名な本らしいのだけれど、題名も筆者も初めて聞いた。

どん底の人びと―ロンドン1902 (岩波文庫)

どん底の人びと―ロンドン1902 (岩波文庫)

1900年代初めのロンドンの労働者の悲惨な生活を描いた本。筆者は実際にボロ布を身にまとって路上生活者と共に過ごし、そこで見たものを書くという形式になっている。だから、文章に臨場感がとてもあるし、「現実はここに書いているものの何万倍もひどい」という文章にも説得力がある。
 一言で言えば、「働き口に対して人間が多すぎてどんなに安い給料でも働かざるを得ない状況」が起こっていたのがこの時代だったのだと思う。その結果、給料は人間らしく生きるのに必要な水準を下回り、廃人同様の生活の人間が溢れる。ところが、そんな給料でも働こうとする人は山ほどいるから、給料の水準はますます下がる・・・こんなスパイラルを繰り返して、廃人の人数はどんどん増えて、スラムはどんどん広がる。その結果、繫栄極まる大英帝国の首都であるのにもかかわらず、全人口の9割以上が貧困の中で死んでいくという異常事態が起こる。
 今の中国のような国でも、程度の差こそあれ、これと同じことが起こっているのかもしれない。賃上げを求めてストライキを起こしたって、元の給料でも働きたい人間は山ほどいる。「取替えは無限にいる」ということだ。要するに、人間が多い状況で、需要と供給のバランスに放任しておくと、こういうシナリオが自然発生的に起こるのを止めることはできない。(そして、需要を産み出す者として日本人もこのシナリオに加担しているということを忘れてはならない。)かといって、もちろん、人間を減らすという選択肢はありえない。ということは、こういう事態を防ぐためには、人工的な方法で対処するしかないということだ。例えば一つの方法として、自治体なり何らかの機関なりが、失業を保障するというルールを作ることは効果的だ。そしてこれは、多くの国で多かれ少なかれ、機能しているルールだと思う。
 日本でも「人余り」が次第に顕在化している気がする。情報技術の発展でどんどん人手が不必要になってきているからだ。では同じように、日本でも人間以下の生活しかできない給料でも働かなければならなくなってしまうのだろうか。僕は、少なくともしばらくの間は、そのようなことは起こりえないだろうと思う。日本には、すでにそうならないための仕組みがあって、そういうルールを理解する素地も一人一人に備わっているからだ。この本を読んで、生活保護雇用保険というものが、いかに偉大で崇高な制度であるかというのを、改めて感じた。