正論の無い世界で正論を叫んでみる

 明らかに間違っていると思うことをさせられそうになったので、正論を並べて文句を言ったら、「正論を振りかざすな」と言われたとき、一体どうすればいいんだろう?「私はそれを正しいとは思わない」と言うのなら分かる。相手の意見を聞いてやろうと思う。だけど、「正論」だと認めた上で、それを「振りかざすな」というのは僕には思考放棄にしか見えない。じゃあどうすればいいの?正論は正しいんじゃないの?正しいことよりも言って欲しいことが存在するということ?それはつまり、間違ったことでも自分の感情を肯定することを言って欲しいということ?
 確かに、気分のどん底にある人を正論で責立てるのは残酷で、そういう場合は言い方を考えて相手を労わるべきだというのは納得できる。だけど、人間がそこまでの支援を必要とする精神状態にあることって、日常生活ではほとんど無くて、あったとしてもすぐ気がつくレベルで落ち込んでいると思うんですよね。つまり、日常で普通の顔して「正論を振りかざすな」と言ってくる人は、論理的には反論できないけど、感情的に納得できない状態で、考えることを放棄してしまった人なのだと僕は思う。
 そしてそういう状況では往々にして、論理的に間違っていようが合っていようが、信頼する人が言えば正しいことで、そうでない人が言えば間違ったことだ、という道理がまかり通っている。しかも残念ながら、世の中にはそういう例が腐るほどある。それは現実だから、受け入れるしかない。世界が論理でなく感情によって動くと言うことは、これまでも痛感してきたつもりだ
 だけど、正論が受け入れられない例があまりに多すぎないか。正論を戦わせる努力、否定する覚悟、受け入れる勇気があまりにも無さ過ぎないか。それによって世の中にあまりにも多くの理不尽が製造されているのではないか。僕が人の気持ちを読めない、あるいは人に厳しすぎる人間でないなら、これは正論だ。正論はこの世では役に立たない。