重責中毒

 いくら本たくさんを読んだって、いくらネットでマニアックな情報を集めたって、それでいくら素晴らしいことを思いついたって、いくら難解な思考に到達したって、その結果を行動や言葉にして他の人に見えるようにしない限り、自己満足以上の評価は得られない。世の中はoutputが全てだ。勉強量とか、思考時間とか、自己満足の良いエサにはなるけれど、それは世の中の役には立たない。自分の存在に意味を与えたり、社会的責任全うしたりできるのはoutputしかない。inputやprocessingはそのための手段であって、目的ではない。
 研究所で中心的な存在になってきて、求められているoutput量がとても多くなってきている。メールがいっぱい来る。自分の実験に期待が寄せられる。様々な権限を任される。調整役をする。催しを企画する。毎日が決断の連続だ。責任は重い。展開は速い。決断は難しい。だけど、自分がやらなければ、言わなければ何も進まないという、周囲からの期待と、そうして下した自分の決断によって物事がどんどん前進していく快感が、心を奮い立たせてくる。多くの社会人が味わっている、重責という麻薬の中毒症状を、初めて味わったような気がする。本当に中毒にならないように気をつけなければ。


8月にすること。

  1. 修士論文に向けて主要データを全てとり終える
  2. 担当している学生実習を成功させる
  3. 国際学会の発表を成功させる
  4. 国際会議の出席権をゲットする
  5. オンライン英会話に通って英語能力を上達させる
  6. 自転車で長野のほうの山を登りにいく


有言実行します。結果は9月に公表します。激務で死んじゃうかも。