面白さ論

 人を笑わせて話題の中心になれる「面白い人」には二種類ある気がしてきた。見分け方は「初対面の人を笑わせられるかどうか」だ。
 初対面の人を笑わせられる人は、相手をトークの内容そのもので笑わせている。些細な出来事をオチのあるストーリーに仕立てて魅力的に伝えたり、絶妙なタイミングで他人の発言を拾って、常人には思いつかない上手い言い回しで返したりすることで、話題の中心ポジションを得ていく。だから、どんな場所でも、相手がどんな人でも、機敏に頭を回転させて話を面白い方向に持っていくことができる。
 対して、初対面の人を笑わせられない「面白い人」は、自分のキャラで相手を笑わせている。平たく言えば、話の中身そのものが面白いのではなく、「この人はこういうことを言うから面白い」と思われることによって面白さを演出している。自虐キャラだったり、自慢キャラだったり、ドジキャラだったり、冷静キャラだったり、うんちくキャラだったりね。そういう人たちは、初対面の人がいる場面では、「キャラ」の確立が済んでいないために、面白さを出すことができない。
 で、最近思うのが、僕が人から「面白い」と言われる場合って、ほとんど後者の「面白い人」としての意味で言われてるんだろうな、ってこと。この二つの面白さは、並列の関係にあるような書き方をしたけれど、実は違う。前者の面白さは、後者の面白さを包含している。前者の面白い人は、「面白いキャラ」として、後者の面白さも獲得できるからだ。だから、キャラを確立しなければ人を笑わせられない人は、トークの内容そのもので人を笑わせることができないから、「面白いキャラ」以外のキャラを演じ、定着させることによってしか、面白さを獲得することができない、残念な存在であるということだ。これは何とかしなければならない。キャラ作りによって作られたチープな面白さにしがみつかなければならない自分が許せない。今後はこの二つの「面白さ」を区別して、初対面の人でも笑わせられる、真の面白さを身につけられるように練習していきたい。