美人係数0.8

 銀行に行ったりすると、「顔採用」の存在を疑うことができない。世の中のあらゆる容姿の人間ををランダムに採用して窓口に並べて、あのような組み合わせが実現する確率は、ありえないと断言できるレベルに低いはずだ。なんだかんだ言って、結局世の中は、特に女の人に対しては、容姿に対して平等にはできていない。見た目がいいだけで色んな人が話を聞いてくれて、色んな人が親切にしてくれて、その結果として、色んなチャンスが得られて、人生も豊かになるし、仕事でも優遇される。自分の努力ではどうにもならない部分でここまで差があっていいものかと思ってしまう。
 一方で、女の人の容姿が武器になりえるというのも、疑うことのできない事実ではある。きれいなおねえさんが窓口や受付にいたら印象が良くなるのは認めざるをえない事実だし、見た目が良い人と一緒に仕事をすると楽しいという思想にも、男として同意せざるをえない。女の人だって、そういう男のどうしようもない習性を意識しているのかどうかは知らないが、社会でサバイブするのに自分の美貌を利用しているはずだ。これまでの人生でちやほやされて生きてきた人は、今後もちやほやされるだろうという前提に基づいて行動することが可能だし、場合によっては、その前提が仕事上のシビアな局面を乗り切るために使われているかもしれない。
 「これが現実だ」と言われればそれまでかもしれない。昔から今まで社会はずっとそうだったのだろうし、何より別に自分自身が不利益を被る話でもないので、「そういうもんだ」と割り切って受け入れてしまっても支障は無い。だけど、論理実証主義を崇拝し、可能な限り感情や本能を排した客観的議論に即して物事を判断すべきと考える立場としては、これは受け入れがたい現実だ。自分の本能や感情によって生み出されるノイズを乗り越えて、相手が男だろうが女だろうが、容姿が良かろうがそうでなかろうが、そんなの関係無しに、会話の中身そのものだけから情報を抽出し、話を進め、行動するというのが、あるべき姿だからだ。
 けどそれでもまぁ、やっぱり本能はなかなか破れないわけで、どうしてもキレイな人が言うことは肯定的に受け取るようなバイアスがかかってしまう。なんだろうね。本当に相手の見た目を意識しないようにしていても、かわいい人に話しかけられたら絶対にどっかで意識している。どれだけ考えてみて、意識しないようにしたと思っていても、よく考えると絶対どこかでしている。で結局、それは男である以上、どうしようもないことだと思うようになってきて、色々試していくうちに、そういう場面に遭遇したら、相手の言っていることを敢えて2割くらい否定的に捉えるようにしたくらいで、ちょうど正当な評価が下せるんじゃないかいう方法に行き着いた。要するに、本能による避けられないバイアスに、自分の意志で適度な逆バイアスをかけなおすことで、偏った情報を受け取ることを防ぐというやり方だ。かわいい人の8割しか評価しないというこの逆バイアスを、美人係数0.8と呼んでいる。だから、女の人と話してて楽しい気分になりそうになったらすかさず相手の話を美人係数0.8で補正してから耳に入れる。それぐらいしないと、かわいい人は優遇されすぎだし、そんな本能に抗えない自分も悔しい。残念だけど、本能によるノイズを消すことはどうしてもできない。自分の意志で無理矢理補正するしかないのだ。
 いろいろダサい話ですが、ま、かっこよくまとめれば、美人が言うことでも僕はきちんと話の本質を見るし、もしその美人が容姿を武器にしているのなら僕は騙されないよって話。