修士課程に進んでよかったこと

 昨日も書いたように、修士という称号自体にはなんの憧れもないし、むしろダサいから要らないくらいなんだけど、修士課程の2年間の生活そのものは、400万円の借金(奨学金)をしてでも、社会に出る前に経験しておいてよかった、と本当に思う。以下、その理由。

学部卒の段階では未熟すぎた

 ああ、思い出したくもない。僕は今でこそ自信をもって自分の進路を選ぶことができているけれど、学部時代は自信の無さの塊で本当にウンコだった。つまり、ウンコの塊だった。あの頃の僕は、世間に批判されないよう、「あるべき像」を追い続けて自信の無さを隠すことに必死だった。勉強しておけばとりあえず批判されないから勉強に精を出して、生活面でも「あるべき像」があると信じて宗教的自己啓発本を読み漁り、恋愛でも「正解がある」と思ってマニュアル的にやさしくしまくって気を使いまくって、まぁ、当然のごとく相手も自分も不幸にしてしまい終了した。そんな当時の僕がやりたいこと(正解)なんて見つけられるはず無く、学部卒でとても進路なんて決められる状況じゃなかった。修士での就職活動中にコンサルのグループワークなんかでたまに学部生と遭遇すると、みな驚くほど自分をしっかり持っていて、本当に感心した。「こいつらが修士に進んだらマジ最強じゃんか!」て思った。
 僕は大学院に進学する頃になってようやく「世の中に正解はなくて、正解は自分で定義するのだ」ということに気がついた。そこからようやく、本当に自分に自信を持ってやりたいことを決められるようになって、就職活動も目標を持って取り組むことができるようになった。要するにそもそも僕は学部卒で就職活動に取り組む能力がなかったため、いずれにしても大学院に進み精神が成熟するのを待たなければならなかったということだ。

スケジューリング能力が上昇した

 研究室に配属されてからは、授業もないし、ノルマもない。平日に研究室に来なくてもいいし、休日に来てもいいし、そもそも他人の出欠なんて誰も興味ない。研究成果さえだしていれば、一切学校に行かなくたって何も言われないし、逆に毎日休まず登校し夜中まで机にしがみついていようが、成果が無ければ無能扱いされる。そういう環境で2年(卒研も入れると3年か)過ごしたことによって、仕事の時間配分、さらに言うと、仕事、家事、趣味の3点を両立させるためのバランスよいスケジュールを組むことが日常的にできるようになった。より単純に言えば、「期限内に成果を出しつつ、締め切りから逆算して、今やるべきことと、後回しにしていいことを分類する能力」が身についたということだと思う。目先の仕事をいかに片付けるかということに捉われず、というかそういう目に遭う前に、「3ヶ月後ここまで行くにはどうしたらいいか」「この1ヶ月をもっとも楽に乗り切るにはどの段階で頑張ればいいか」みたいな、大局的な目で計画を立てておくことによって、締め切り直前の一番苦しい時期に一休みできたり、無限に襲ってくる仕事に区切りをつけて丸1日休みをとったりできるようになる。こういう力がとても身についたと思う。院生生活も相当忙しかったと思っているし、大体一日に自分がどれくらい仕事ができて、一ヶ月にどれくらい休みを必要とするかも分かったので、ワークライフバランスとかスケジューリングの面で社会人生活に対する恐れは無い。この自信は修士の二年で就職前に得られてよかった。

デスクワーク能力が上昇した

 これはスケジューリング能力とも絡んでくるのだけど、要するに「単位時間内に仕事をいかに前に進めるか」というコツみたいなのが分かったということだ。人間は締め切りがあると、そこを目指して行動する。だから、30分で終わる仕事も、1時間あれば1時間かけてダラダラやってしまう。その時間の半分は、目標達成に必要でないことをウジウジ悩むための時間だ。だからそうならないように、あらかじめ30分で終わる仕事には30分しか割り当てないように頭の中で決めておいて、その目標を達成することに全力をささげる。これは言い換えると、「時間を切り刻む感覚を手に入れた」ということかもしれない。10分とか20分とか、そういう単位で時間を切りまくって、その時間内にできる仕事を時間内に全力でこなすことを繰り返す。これで浮いた時間を最終チェックに回せば、仕事の質も上がる。そういうことを日常的にできるようになった。これも多忙かつ自己責任な研究室生活があったからこそ身についたものだと思う。感謝。

論理的文章力が向上した

 研究者はとにかく短く簡潔な文章を書くことを求められることが多い。この能力については、一通り身についたと思っている。結論を先に書いたり、繰り返しを取り除いたり、スタイルを整えて読みやすくしたり。まぁ、これは社会に出てからも簡単に身につきそうな能力のひとつではあるけれど。小学校の作文が大嫌いだった僕にとっては文章を書くのが苦で無くなったことは大きな進歩だ。

英語力が向上した

 まーこれは仕事で役に立つのか知りませんが。外国人との日常会話程度なら対応可能だし、メールのやり取りだったり、英語サイトでの文献収集だったりは日常的に行っているので、こういう機会に恵まれたというのは修士に進んでよかったことの一つ。最近英語ブームだけど、ブームになると批判したくなるのであえて一言言っておくと、結局外国人との意思疎通するときって、英語力なんかよりも「考えの強さ」だったり「論理」だったりがしっかりしているかどうかのほうが100万倍重要なので、個人的には英語に割くリソースを物事をじっくり考えることに割いたほうが良いと思うんですよね。というわけで、英語力に関しては僕自身はこれ以上は望んでない。必要になれば自動的に上達するだろうしね。


つーわけで、まぁ、修士号は糞ですが、修士課程には大きな価値があって、社会に出る前に自分を自分で洗練し、社会人生活を始めるにあたっての様々な不安を自信に変えてくれる貴重な経験だったと思います。