夢の再設定

 気づけば一月以上更新してなかったけど、夏休みで久々に時間ができたのでいろいろ書いてみる。まぁ、相変わらず平日は誰かと飲んでて、休日も遊びまくりで家にほとんどいないから書く時間がないというだけなんだけど。ほんとクズだな。終わってる。


↑憧れの乗鞍に行ってきた。この夏は富士山、霧が峰、美ヶ原、麦草と2000m級の峠をチャリで回ってきました。


 さて社会人となり5ヶ月が経とうとしている。入社から今までは社会人生活への適応に必死で周りがよく見えなかった。今、仕事の要領もようやく分かってきたところで、夏休みでいったん仕事から離れている。久しぶりに自分の置かれている状況を客観的に見るタイミングを得ることができたような気がしている。
 そんなわけで、これまでを振り返って、得たことや感じたことをまとめてみたい。
4つに分けて、

  • 大学での研究について感じたこと、
  • 人付き合いで感じたこと、
  • 仕事で感じたこと、
  • 将来の夢について感じたこと

について書いてみる。

大学の研究について

 これは若干自慢も入るのだが・・ついにラスボスを倒し、ハッピーエンド。論文を投稿し、リバイスを返してアクセプトされた。FEMS microbiology ecologyという雑誌に載ることになった。小学生のころから研究者を目指していた僕にとって、自分の研究成果を論文として世界に発表できるレベルに到達したということは、夢を実現したといって良いと思う。現象の発見から実験計画、データ整理、論文まですべて自分の手でこなしたということも自信をもっている。満足過ぎる結果だ。
 これで、本当の意味で研究に区切りをつけることができた。自分の人生は一度満足できるゴールを超えたし、この世に名前を残したので、もういつ死んでもいいと思う。本当に。・・・まぁ、もう少し現実的な話をすれば、もし研究者をやり直したいと思ったときに業績面でスムーズにやり直しができる切符を手に入れたのかな、と思っている。まぁその前に、この社会人の楽さを経験した後に、過酷な研究の世界に戻ってやっていけるのかという不安があるけどな。

人付き合いについて

 この5ヶ月で僕が最も成長した分野といえばこれに違いない。むしろ仕事が暇すぎたのでこれを磨くことにこの5ヶ月を利用していたといっても良いくらいだ。コミュニケーション能力の向上。いや、向上というより、獲得というべきか。社会人になってから、本当に色んな分野の色んな人と話すようになり、「人と話すってこうやるのか」と学ぶことが多い。
 学びをすべて書くと長くなるけど、一言で言えば、「適当さ」を覚えたとでも言うか。これまで「正直さ」や「正確さ」が自分のなかの絶対正義だったのだけど、世界は思っていた以上に感情で動いていて、そんな正直さ正確さは求められてない。むしろそんなことよりも、「言い方、伝わり方への配慮」だったり「ともあれ相手を認めてあげること」だったりのほうが求められている。それを学ぶまでに失敗もたくさんした。良かれと思って自分の意見を率直に言ったり、もっと話を聞きたいと思って執拗に正確性を求めたり、単なる相談の場で改善案を持ち出して議論を始めたりして、人を傷つけたり、遠ざけられたりしてしまうこともあった。そして、正論自論むき出しでなく、もっと相手がどういう会話を求めているかを考えよう、と思うようになった。
 そんなこんなで、僕はこの5ヶ月で相当丸くなった。もちろん、仕事上の重要な話だったり、相手が論破しにきてたりすると、こっちも正論自論で応えるけど、そうでない日常の会話では、正論自論を言ってもしょうがないので、「そんなことよりも面白いネタを考えることに脳のリソースを使おう」と思うようになった。まぁ、こんくらいのこと、ほとんどの人は中学生くらいで気がついていることなんだろうけど。今は色んな人と話して色んな知識や気付きが得られるのがひたすらに楽しい。
 ところでこれは、人付き合いをスムーズにするためにやるのであって、世渡り上手になるためではない。世渡り上手って才能だと思うけど、八方美人はやっぱ好きになれない。合わない人とは合わないのままでいいんじゃないかと思ってる。

仕事について

 研究者を目指しすぎて視野が狭かった反動で「できるだけ広い世界を見たい」と思ったのがコンサルを目指したきっかけだったのだけど、まさにその目的を達成するために最高の環境を選ぶことができたと思っている。今仕事で6つくらいの案件に関わっているけど、どれもが異業種で、内容も組織風土改革から仲介役、新規事業立案まで幅広い。本当に色んな場所で、色んな人が働いていて、色んな思いがあって、色んな問題があるのだ、ということを感じさせてくれる。これは、ほかの職業ではなかなか得られない視点だと思う。
 しかもそこでぶつかる問題は、教科書的に学ぶ問題ではなく、今まさに存在し、お客さん含め誰もが答えを導き出せないでいる、活きた問題だ。そんな場面に日々遭遇していると、「世の中はこういう仕組みで物事が決められて動いていくのだ」ということが少しずつ見えるようになっていく気がする。なかでも面白いのは、そうやって調べていくことで「世の中の意外な繋がり」が見えて、新しく興味を持てる分野が増えていくことだ。プロジェクトを進めていくと、例えば特許だったり、政策だったりが重要な鍵を握っていることが分かってきて、これまで全く興味がなかったそういう分野に問題意識をもって接するチャンスが出てきたりする。
 会社としてのノウハウの蓄積もすごい。社内を見渡せば、あらゆる分野の専門家がいて、世の中の問題のほとんどは会社の中の誰かが関わっているといってもいい。本当に、色んな分野の人の話を聞くチャンスがあって、視野が広がる。まさに会社がひとつの脳みそのようで、「シンクタンク」という言葉のとおりだと思う。
 まだまだ「世の中に対し一通り自分の解説をつけられるようになる」という段階ではないけど、この環境にいれば、いずれは「世の中のことが大体分かるようになった気がする」という状態にはなれるのではないかと思う。今はできるだけ早くそうなれるように、とにかく視野を広げることに注力するのみだ。

将来の夢について

 で、「広い視点を得るのはいいけどその後どうすんの?」という疑問を持たれるかもしれない。ここが、まさに今僕がぶつかっているところだ。「夢・目標をどう設定するか」ということだ。
 もともと僕には「研究者になる」という夢があって必死にやってきた。今はその夢に実現判定を出し、その次の目標として「世の中のことを一通り理解できる視野の広さを身につけたい」と思って必死にやっている。でもじゃあそれが最終目標か?と聞かれるとそうではないと思う。やはり得た視野を使って何かを成し遂げたい。それに、次に夢を設定しなかったとき、今の夢を達成してしまった後の燃えつきが怖い。夢・目標を一生懸命に追っているときが一番楽しい。何でもいいから、なにか夢はもって生きたい。
 ここでちょっと話変わるけど、「夢を持つこと」について。一般的に、子供ほど夢があって、大人になるにつれて先が見えたり、守るべきものが出てきたりして、夢がなくなっていくかのような言い方をされる。だけど僕は、大人だからこそ、夢にむかって現実的なアプローチをとる楽しみがあると思っている。確かに「プロの野球選手になりたい」みたいな壮大な夢を大人になってから追うのは難しい。でも、なんで難しいかといえば、それは「残り時間で自分ができることできないことを知っているから」だと思う。だとすれば、逆に考えると、大人は「自分のできること」の中から現実的な夢を設定する自由を持っていると言える。子供が思いつきで言う夢よりもスケールは小さいかもしれないが、追いかけることの楽しさは大人が言う現実的で戦略的な夢のほうが大きいのではないか。そんな風に最近思う。
 話を戻し、僕は何を夢に設定して生きるべきか。大学でやってきたことや、今会社でやっていることを全く考えないで、ニュートラルな状態で自分が何をしたいか考えてみた。するとやっぱり僕は「自然が好きで、環境保全に貢献したい」という気持ちが底にあるような気がしている。山や海にいって、自然に触れて「いいなぁ」と思う気持ちは、これ以上分解できない根本的な気持ちで、それは何が起こっても否定されないと思う。そういう意識って、程度の差こそあれ、たぶん全ての人間がもっていて、でも今は経済活動優先で世界中の自然が失われている。短期的に見れば、経済優先がより多くの人を幸せにするのだけど、長い目で見ないと自然は失われ、そこから得られる幸せや利益も無くなり、取り返しのつかないことになってしまう。だから、早いうちに、少しでも環境に対して価値を感じてもらえるような、もっと言えば、「環境に対価を払うのが当たり前」という意識を皆が持つべきだと思っていて、僕はそこに貢献したい。
 貢献の方法はいろいろある。直接、自然の家やキャンプ場を経営して人々に自然の価値を感じてもらう方法もあるし、よりマクロに環境に対価を払うような制度を作るのに貢献する方法もある。あるいは環境微生物の研究に戻りながらも、自然の面白さを積極的に訴える研究者として活動する方法もあるかもしれない(たとえばこういう人)。あるいは、ダイレクトに環境価値の研究分野で文系研究者として生きていくのも可能かもしれない。
 どのアプローチをとるかは、もう少し時間をかけて決めたい。ただ、この夢は、僕の中でしっかり軸として据えておきたいなと思う。まずは広く浅く、分野にとらわれず広い視点を身につけたいという目標は変わらない。でもそのなかでも常にその先に次の夢があるということを考えながら、恵まれた環境を活かしながら、日々色んな人や情報に接していけたら良いと思う。


 ・・・しかし、社会人になって本当に生活が堕落してます。金使うし、飲んでばっかりだし。仕事もちゃんとやっているし、段々負荷も増えてきたけど、それでも院生時代よりは全然楽。こんなんでいいんかなーとか思いながら、そしてたまに↑こんなこと思いながら、毎朝ウンコみたいな通勤列車に詰め込まれて会社行ってます。さて夏休み残り2日なにして遊ぶかな。