攻めか守りか

 人生には、「攻め」フェーズと「守り」フェーズがあると思っている。自己実現のために新しい世界に飛び込んだり、自分を追い込んで挑戦的な課題に取り組んだりするのが「攻め」、「攻め」の結果手に入れたものや築きあげてきた立場を失わないように維持していくのが「守り」だ。学生時代では、多くの人が「攻め」フェーズにある。学生のほとんどが仕事や立場や家族といった「守るべきもの」をまだ持っておらず、将来に関して多くの選択肢を持っているからだ。ところが学生時代を終えて就職し、昇進、結婚とステップを踏んでいくにつれ、将来の選択の可能性は狭まり、「守るべきもの」を守っていかなくてならない責任が発生して、「守り」が優勢になってくる。大人になるということは、窮屈になるということなのだ、と最近感じる。


 で思うのは、「いつごろから守りに入ったらいいんだろうなぁ」ってこと。会社員として働き始めた今、この環境で、守りに徹すれば、それなりに安定した人生を送っていくことができるんだろうなぁとは思う。「学生時代散々努力してきたのは今の環境を手に入れるためだったのだから今こそ満を持して守りに徹するべきだ」という考え方で問題ないのかもしれない。さっさと会社生活とうまく付き合う方法をみつけて、さっさと家庭を持って、さっさと守りの布陣を引いて、残りの人生を楽しむ方法を模索すべきなのかもしれない。
 ・・・だけど、20代でそんな「夢のない」ことを言っていていいだろうか?まだ、壮大な夢を語って、がむしゃらに努力したり、未知の世界に飛び込んだりすべき歳なんじゃないだろうか?まだ僕は「自分の将来像を追いかける楽しさ」を味わっていたいような気がする。一方で、だからといって、一生「攻めフェーズ」でいいか、と聞かれるとそうでもないと思う。死ぬまで「攻め」の姿勢で生き続けるのは素敵な生き方だし自己満足もするだけろうけれども、やはり客観的に見て、歳をとればそれ相応の「守るべきもの」を持っていてしかるべきだと、僕は思う。専門性しかり、職位しかり、家庭しかり。ジジイになっても持つべきものを持たずにフラフラと好きなことして生きているのは、社会にとってマイナスだし、本人が良くても、やはり社会的には恥ずかしいことなんじゃないかと思う。
 で、いったいいつごろ「守りのフェーズ」に入るべきなのだろうか。これはとても難しい問題だ。守るべきものはほしいが、不自由になりたくないし夢も追いかけていたい。そんなことってできるのだろうか。別の考えでは、今のうちに守りまくって足場を固めておいて、あるときから再び攻めに転じるというやり方もありかもしれない。ちょっと前に「40歳定年」てのが話題になってたけど、ああいうのは本気でありだな、と思う。
 職場がいかにも「守り」の姿勢な会社なので、ときどきこうやって客観的に考えないと、気づいたら「守るために働くだけ」みたいな人生になってそうでこわい。