社会人を経験して得た学び


@雨のゲートブリッジ。ストレス溜まったときの湾岸ドライブは東京で車維持してる人の特権です

 夏休みきました。様々な意味でこんだけ自由な夏休みは今回が最後な気がしているので、思う存分だらけている。冷房と扇風機の効いた家でごろごろしながらYouTube見てゲラゲラ笑いながら菓子をつまみに酒飲んで眠くなったら寝て目が覚めるまでベッドの上、とか。世の中には、休み中も自分の意思でメールチェックとかしてる人もいるらしい。そんなに会社とか仕事が好きなのかな。休むための休みなんだから休まないといつ休むんだろう。
 そんな感じで、断固「働かない夏休み」を決行中。会社や仕事に対するロイヤリティはもうほとんどない。その理由は色々あるんだけど、集約すると、

会社員の身分であるかぎり、「最終命題」は結局会社に利益をもたらすことであり、みんなそこに至るまでの「過程」で自己実現や承認欲を満たしたり、それと引き換えに得られる「報酬」で贅沢をしたり家族を養ったりすることで満足している

と感じるようになったことに尽きると思っている。気づくのおせーよ、って感じかもだけど。
 僕がこだわりたいのは「過程」でも「報酬」でもなくて「最終命題」そのものだ。「人生を懸けてなにかをやりたい」と書いたこともあったけど、やっぱり今の段階で、「過程」や「報酬」に満足するフリをしながら、大企業のサラリーマンやるのはちょっと違うな、というのは間違いない考えのように思う。(利益以外にはっきりとした「最終命題」を掲げている会社であれば話は変わってくるかもしれないけど、これ以上は会社の愚痴になりそうだ。。。)

 そういう考えなので、最近会社に対し、「仕事の中身」を期待することはなくなった。どの業界の仕事だろうが、どのくらいの規模の仕事だろうが、結局は高効率(省力)で会社のために稼ぐことが良しとされているのが分かっているので、できるだけこだわりを出さないようにして、ただ淡々とこなすようにしている。こだわって質を上げたって会社の稼ぎに貢献しないし、そもそも質を高める暇がないくらいに量が求められていて、常に労働集約の限界に達しているので、「こなす」以上のことができる余裕がない仕組みになっている。ここで「休日も働く」姿勢を見せようものなら、さらに生きてる時間全部搾取してくる勢いで働かされるのは目に見えている。
 その代わりに会社に期待しているのが、いかに社会の仕組みを観察し学びを得る機会を多くもてるか、ということだ。幅広い世界の仕事ができる今の職場は、それを効率よく得るための最高の環境だ。社会には、学生時代に想像していた通りのところもあったけど、全く想像違う仕組みで回っているところもたくさんあった。以下、これまでに見えてきた「学び」をまとめてみたい。

白根山草津の峠道。東京から日帰り圏はほぼ制覇しつくした感。

「人」に関する学び

どんな世界にもピンキリがいる

どんな会社にも、どんな業界にも、本当にいろんなレベルの人が混在している。大きな会社とか小さな会社とか関係ない。どんな場所にも、仕事速くて頼りになる心から尊敬したくなるような人から、向いている方向間違ってて時間も約束もマナーもいい加減なできるだけ避けたい人まで混在している。所属している組織だけで判断できることはひとつもなくて、すべては個人を見て判断しなければならない。これは「会社」を「国」に置き換えても同じことが言えると思う。「○○人は△△」みたいなのは全部当てにならない。個人の差のほうが圧倒的にでかい。全て本人に会って判断すべきだ。

否定するだけの人が結構いる

社会って「代案なしに否定だけする人」が意外にいる。それが仕事になっている人すらいる。否定するだけならサルでもできるし、それが全く非生産的な行為であることは学生レベルでも染み付いている常識だと思っていたのだけど、それを平然とドヤ顔でやってのける大人が意外なほど多い。否定しかしないで議論を破壊するやつは「いない」のと同義かマイナスの価値しか提供してないはずなのに、それを深刻に受け止めてくれる取り巻きのおかげで本人はむしろ存在意義をそこに見出していたりするから手に負えない。そういうやつがいたら、必ず「じゃあどこを変えると一番いいですかね」と聞き返すようにしている。大抵ごにょごにょした答えしか返ってこないか、さらに否定論調を強めてくるかで何も変わらなくて、いったいなんなんだよ、となるんだけど。

技術や専門持ってる人はつよい

理系の世界で育ったからこれまであまり感じなかったけど、技術や専門を持っているということは社会では意外なほど強みになる。最強なのは弁護士とか医者とかの資格モノだと思うけど、そこまで行かなくても、「ブランド戦略に詳しい」とか「半導体技術を専門としている」とか「ロボット業界に精通している」みたいな、他人と容易に共有できない属人的なスキルや知識は、やはり他人との交換不可能性を生み出す最強の源泉になる。ここでポイントなのは「自分を安売りしなくて済む」ことにより、仕事自体もラクに楽しく進められるようになることだ。平たく言えば「仕事をさせてください」から「仕事をやってあげます」の売り手市場に持ち込めるということだけど、これができるようになると、つまらない仕事や割の悪い仕事に飛びついて苦しまなければならない事態を回避できてとてもやりやすくなると思う。

手に職がない人の生きる手段は人脈と自己ブランディング

前述の裏返しで、これといった技術や専門性を持たない人も世の中には意外なほどいるのだな、ということも大きな学びの一つだ。学生時代に研究室漬けで若くてもなんらかの専門を持っている人が多い理系に比べると、文系学部出身の人のほうがそういうことが多いような気もする。こういう人でうまく立ち回っているのは、コネクションやコミュニケーション力、自己ブランディング能力に長けている人のように思える。分かりやすい技術や専門性がなくても、こういった能力があれば、十分に社会で通用するし、かなり高いレベルの仕事もできているように感じる。ただ、個人的にはどうしても技術や専門性で勝負している人に憧れや親近感があるので、こういう能力を駆使して立ち回っている人たちに対しては、自分に無い能力を発揮して活躍していることへの尊敬を感じつつも、「うさんくさいな、だまされやしないか」と、すこし警戒感を持って接するようにしている。

子供できると人生観が変わる

これは前の記事で書いた通りなんだけど、子供できると本当に人って変わるな、と感じる。仕事に対する考え方、将来設計、幸せを感じるポイント、色々と変わる気がする。子供ができるまでの人生とできた後の人生は別物であると、今のうちから考えておいたほうが良さそうだと思っている。

みんなやけに頑張る。休日働く。

これはまだ説明のついていない現象なんだけど、最初に書いたとおり、みんな休日に働きすぎなんじゃないかと思う。「土日にもやりたくなってしまうくらい仕事に夢中」なのであれば、それはすばらしいことだと思うんだけど、そこまでコミットして打ち込んでいるようにも見えなくて、決まったことのように休日にもメールチェックして資料作ったりしているように見える。休みの時間と仕事の時間は根本的に流れ方が違うから、しっかりと切り分けないとどこまでも仕事に侵食されて人生=仕事みたいになってしまうような気もするのだけど、そこのところ、どうしているのだろう。個人的には、「みんなが休日に働くからみんなが休日に働かなきゃならなくなる」というループが成立しているような気がするので、当然のように休日に働くのは迷惑なのでやめてもらいたい。

「仕事の進め方」に関する学び

仕事は中身よりも人で選ぶべし

仕事の楽しさとかやりがいは、仕事の中身よりも一緒に働く人に大きく依存する。学生時代の研究室選びでも「研究内容よりも教授との相性で選んだほうがいいよ」という言説があったけど、社会での仕事もそれは変わらないということを学んだ。しょうもないことのように思えるけど、チームメンバーやお客さんのやる気とか性格が意外なほど自分の仕事の質に影響を及ぼす。楽しく仕事するためには、「やること」以上に「やる人」選びに力を割くべきだ。

分業の重要性

これは社会出て「すげー」って思ったことの一つ。「チーム全員がその人にしかできないことしかやってない」という最適状況が実現されてて、仕事のスピードが学生時代とは比べ物にならないほど速い。単純な図式で言えば、リーダーが方向性とやり方を決めることに終始し、その下にいる中堅が頭捻ってアイデアを量産、さらにその下の若手がそれを形にする作業を担い、実際の資料作りではエクセルやパワポに長けた専門のスタッフが手を動かす、みたいな感じ。学生時代は全部自分でやるのが美学だと思っていた節があったけど、「得意なもんは得意な人に任せろ、自分は自分にしかできないことをしろ」という考えの重要性を学んだ。チームワークってほんまに大事。まぁ、金がないと出来ないことなんだけど。

使いまわし・リサイクルの重要性

これも前述のスピード感に関連するところだけど、資料とか考え方とか使いまわせるものは使いまわす。そのために後先考えてうまくリサイクルできるように仕組んでおく。学生時代は、資料の使いまわしは悪で、毎回オリジナルを準備すべきだろ、と思っている節があったけど、本当にカスタマイズして付加価値出すべきところに労力を割くために、汎用的なところはできるだけ使いまわしで省力化するのは合理的だと思うようになった。そうすることで、使いまわされている汎用部分自体も、使いまわしを繰り返すことで洗練されてさらに良いものになっていく。

付加価値生まない時間がまだまだある

上述の2つは効率的に仕事が進むことに感心した話だけど、その一方で、こんだけ合理的な仕組みが整っていながらも、「これ絶対価値ないでしょ」というしょうもない仕事がたくさん存在しているようにも感じている。形式ばった事務手続きは雇用を生み出すためにやってるんじゃないかと思うくらい煩雑だったりするし、正直「やった感」を出すことが目的としか思えないような、「重箱の隅をつついて蜂の子を散らしてそれを自分で捕まえましたドヤ」みたいな仕事が存在してたりする。こういうしょうもない仕事のほとんどは、既得権益者が既得権を守るために生み出すタイプのものだ。そしてそういう人たちは大抵権力者なので、下っ端がどうこう言って解決するような問題はほとんどない。こういう仕事に捕まると、最終目標が何か、本当の価値とは何か、という本質からどんどん離れていってしまう。時間を無駄にしないためにも、こういう仕事にはできるだけかかわらないようにするのが対処法だと思っている。

仕事に関する学び

言ったもんがち

社会は思っていたよりもいい加減で、とにかく時間が無くて正確性よりもスピード判断が求められる場面が多い。そういう状況だと、誰かがふと発言したことがベースにどんどん議論が進んでそれが既成事実化してしまう場面が多い。「みんなが後で慎重に検討してくれるだろうし自分の意見だけ出しとこう」くらいのノリで発言したとしても、みんな「限られた時間で決める」ことに必死であんまり懐疑的になってくれることも無いから、そのまま議論がすすんで「え、このままでいいの?」とか思っている間にそのまま意見が採用されたりしてしまう。だからこそ、発言するときはそれなりの確度をもって責任を持ってしなければならないんだけど、その一方で、発言すべきタイミングできっちりと意思表示しておかないと手遅れになる、という側面もあったりして、とにかく意思決定に絡むためには「早く、確度の高い意思表示をすること」が求められるな、という学び。

余計なことを言わないことの重要性

上述の裏返しだけど、言ったことが既成事実化するスピードが速い分、「不要なことを言わないこと」の重要性も痛感するようになった。学生時代であれば「懸念事項は全て土俵に上げて一つ一つ慎重に検討しよう」という考え方をしていたところだけど、社会では、「ちょっとひっかかるな」くらいのことをいちいち議論していたら時間が足りない。かといって「出てきてしまった発言」について議論しないわけにも行かないので、何か問題提起があれば、その問いに対してそれなりに時間を割いて検討することになる。僕も入社したての頃は「違和感感じた点はどんどん表明すべき」だと思ってどんどん発言してたから、相当なチームの時間を浪費してしまったと反省している。直感的におかしいと思っても、「その問題は本質にせまる重要な問題かどうか?」をいったん考えて、「この選択は結果に大きな影響を与えないな」とか「ここは結果への影響に比べて個人の好みの問題が大きいから議論してもしょうがないな」という判断がでるのであれば、それは自分の中に飲み込んでおいて、もっと重要な懸念事項が無いか精査することに力を割くべきだ。細かい議論に時間を使ったせいで、重要な懸念を議論するタイミングを逸して、不幸な既成事実が作られてしまったとしたら、その責任は重大だと思う。

学生レベルに深く考えるだけでも意外に価値が出せる

社会に出ると、とにかくスピード重視で、限られた時間の中でできるだけ考えたとこまでで結論を出していく必要がある。学生時代は「社会人はもっとみんな深いレベルで物事考えてるんだろうなー」とか思ってたけど、実は逆で、社会における深堀りの合格点は学生レベルのはるか下。むしろ普段から学生レベルに物事を突き詰めて考えることが出来ていれば、それは相当に仕事ができる部類に入るんじゃないかと思う。難しいのは、それを社会の限られた時間の中で、深堀りするポイントを間違えずに的確にやっていくことだ。だけど逆にそれができれば、それだけで社会の中でかなりの立場まで上り詰めることが出来る能力になりうると思う。

グローバルは面白い

やっぱ時代はグローバルだろ、って思う。ここまで書いたような感じで、なんとなく自分なりに「社会ってこんなもんかー」ってのが自分の意見として形成されつつあるけど、今の仕事は基本国内相手だから、ここまで書いてきたことってなんだかんだで国内で起こっていることの話だ。今僕が「学生時代に思っていたことと社会に出て感じたことって同じところも違うところもあるな」と感じているのと同じレベルで「日本国内で思っていたことと世界に出て感じたことって同じところも違うところもあるんだろうな」と思う。「社会がどんなもんか確かめるために社会に出てみた」のが今だとすれば、「世界がどんなもんか確かめるために世界に出てみた」というのが次なのかなぁと思ったり。もしかすると僕が人生に求めているのは、未知の世界に飛び込んでワクワクしながら日々をすごすこと自体なのかもしれない。

長々と書いたけど一言で言えば、「社会は思っていたよりも適当な人が多い、というかスピード重視」ということに尽きる。学生時代と比べれば「やり方」が違うだけで、「レベル(難易度)」は同じくらいか、むしろ下なんじゃないかと思う。これから就職する学生も、心配することはないし、自信をもてばいいと思う。

@三浦の花火大会