神様に頼るしかないこと


砂の島@いちおう東京都です

 先日、新しく引っ越してきた場所から3駅くらい行った所に用事があったんだけど、そこである会社のことを思い出した。社会人1年目の冬に、この駅で降りて、ヒアリングに行った、あるベンチャー企業のことだ。
 その会社は、当時「いよいよこれから本気出します」という段階にあって、小さい会社なんだけど、高い技術力を持っていて、世界中の照明の省エネに貢献する部品を開発し、売り込んでいく段階で、社長も国内外を駆け回って交渉にはげんでいた。それを見て僕は、世界が注目する製品がこんな小さな会社から生まれるなんてかっこいいし、頑張ってほしい。いいままで気付かなかったけど、こういう熱い人たちが日本にはたくさんいるんだ、すごいなぁ、と感心した。
 それから2年たって、その会社がその後どうなったか、改めて状況を調査するチャンスが回ってきた。向こうは確実に覚えていないだろうけど、こちらは社会人1年目で経験した「熱い出来事」として、その会社のこと、そこで聞いた社長の意気込みを鮮明に覚えていた。あの会社、どうなったかな。相変わらず、世界を相手に技術を売って戦っているのかな、と想像しながら、メールを送った。だけど、返事がなかった。もう一度送ったけど、やっぱり音沙汰はなかった。そこで、電話をかけてみることにした。すると、秘書の女性が出て、少し戸惑ったような声で、何の用ですか、と聞かれた。こちらが事情を説明すると、その人は、淡々と、今はもう活動をしていなくて、会社の清算に向けて、手続きを進めているところだ、調査に協力できなくて申し訳ない、と言ってきた。信じられない返事で、とても残念で、どう返したらいいか、言葉に迷っていると、その人は親切にも、話せるだけのことは話せます、と言ってくれた。けど、事業を辞めた会社のことを聞いても使うことができないので、大丈夫です、事情も知らず電話をしてしまい失礼しました、と言って、電話を切った。直後、猛烈に後悔をした。2年前に自分が直接話をしに行って、そこで心を打たれたこと、自分もうまくいくと思っていたが、悔しい結果に終わってしまい、本当に気の毒に思う、ということを一言伝えればよかった、と思った。会社員生活の最初と最後の印象に残った出来事として、これからもその会社のことは忘れないと思う。
 何が言いたいかというと、いろんなものを見るようになって、世の中は想像以上に、

自信があっても、本気でやっても、上手くみえていても、思い通りにならない悔しいことがたくさんある

ということを、強く感じるようになった、ということだ。ピカピカなのに閑散としているお店や、ガラガラで宣伝がもの悲しい観光地なんかに行く度に、これを始めた人は、当初は鼻息荒く漕ぎ出したんだろうな、と想像をしてしまう。起業はほとんどが失敗するというけど、失敗するつもりの人なんかいなくて、始める人は100%自信満々で命を懸けて始めているはずだ。離婚をする人も、結婚するときは死ぬほど幸せで自信満々だったに決まっている。世の中は、想像以上に、理不尽で悔しい結果にあふれている。正しい方向に努力をすれば夢は叶う、というのは信じているけど、正しくはない。それは、運という言葉でしか、残念だけど、説明できそうにない。
 儀式的なものとしか思っていなかった寺や神社へのお参りだけど、最近は、なんか気持ちを込めて祈ってしまう自分に気付く。神様に頼るしかないことって、思っていたよりも多いのかも。そう考えると、悔しいけど、気持ちがちょっと楽になる。