おもんない日記
きんぎょ@すみだ水族館
今の環境にだいぶ慣れて、会社にいた頃の生活を色々と客観視するようになってきた。あらためて、異常な待遇だったと思う。仕事の難易度やリスクは今やっている研究よりも正直下なのにもかかわらず、ものすごい金額をもらっていたし、年金保険全て自分で払うようになった今から思えば、社会保険が完備されているというのはとんでもないことだった。そのうえ、確定拠出年金なるものまで自動的に積みあがっていた。あのままあそこにいれば、会社がつぶれない限りは、何不自由なく裕福な暮らしが送れたのだろう(つぶれない保障はまったくないけど)。「お金の回っている世界」で働くというのは、そういうことだ。仕事の難易度やリスク、もちろん「やりがい」とも、報酬は比例しない。「需要」こそが、仕事の価値を決めるのだ。
だけど、僕は後悔していない。いや、表面的に考えると、なんて馬鹿なことをしたのだ、と思うし、何度もそれを考える。だけど、もう少し想像を働かせて考えると、やはりどうしてもあの環境を受け入れてあのまま歳をとっていく自分が想像できない。当たり前のことを当たり前にやる、当たり前のことなんだけど、どうしても退屈に感じられて、「このままここにいて自分は何が出来るようになるのだろうか」という不安がどんどん増大していた。それでいながら「平凡な人生で終わらせてたまるか」という、根拠の無い自信も増大していた。いずれにしても、飛び出していたのだろうと思う。そして飛び出す先として、今の環境は、理にかなっていると思う。儲からないことに興味を持ってしまったのだから、こうするしかなかったのだ。
しかし、まだ思っていたような成果が出ていないのも事実だ(まぁ、そんなに早く結果がでるわけないのだけど)。とにかく今はアウトプットを出すために、ひたすら実験をやっているけど、結果が出なかったらどうしようか、変な結果が出たらどうしようかと、とても焦っている。早く、1報目の論文を出し、夏から秋に開催される学会で一通りの人脈をつくり、自分がこの世界で生きていけそうだという自信を持ちたい。もやもやしたまま、募る「アウトプット欲」が行き場を失った結果が、この何の示唆も無いおもんない日記だ。