会社員を辞めて学振をとるということ


明神池@上高地

 会社を辞めて学振を取って博士課程に出戻ってくる、という選択はかなりレアなキャリアだと思う。僕も進路に迷っていた時にネット上を色々と検索してみたけど、そういう前例はほとんど見当たらなかったし、リアルでも「そんな(アホな)ことするやつ初めて見たぜ!」という意見しか聞かなかったので、やっぱ相当にレアだし、アホなんだと思う。文科省は「研究者のキャリアパスの多様化」とか言ってるけど、戻ってくるための手ほどきや支援など特になく、独力の実力勝負で戻ってくるしかなかった。やっぱりストレートで修士で上がってくる人と比べると、色々と違いを感じることがあるので、実際にやってみてどんな感じだったか、簡単に書いてみる。

申請書提出まで

 学振とは、文科省下の日本学術振興会の「特別研究員」制度のこと。ネットで調べれば情報はいくらでも出てくるけど、博士課程の学生を対象にするタイプ(DC)の場合、月20万円の生活費と年100万円弱の研究費を得ることができる。これがとれなければ生活費も学費もアルバイトしながら自腹で払うことになるので、博士課程を目指す人間はほぼみんな出しているんじゃないかと思う。
 そのくせ採択率は20%強でなかなか狭き門なのだけど、採択をされるためには、申請書の内容もさることながら「業績の有無」が一番重要だと言われている。僕の場合は、修士を出て会社に入る直前に論文を投稿し、社会人1年目のゴールデンウィークに査読への対応と再投稿をし、夏ごろには論文が受理されたという状況だった。修士から直接学振に申請する場合は、修士2年の春に申請書を書くことになるけど、その頃の僕はまだ論文がなかったので、「修士論文を投稿して受理されたものも業績にできる」という点では、1回外に出て出戻ってくる人間のほうが有利だと思う。
 そんな状況で、社会人2年目の冬くらいから「会社員向いてないかも」とウダウダ考えはじめ、3年目にはいる直前に、学振(DC1)に申請することを決意した。6月頭が申請の締め切りだったので、4月初旬から、平日の帰宅後や休日をつかって、少しずつ申請書の叩きを作り、ゴールデンウィークを数日潰して一気に書き上げた(スターバックスには大変お世話になった)。余談だけど、会社生活で資料作りの能力が格段に磨かれたおかげで、申請書の作成時間は、一般的な修士の学生に比べると1/2〜1/3くらいでできたと思う。「こだわりすぎず、無い時間で最大限効率良くやる」という考え方は、会社員を経験したことで得られた武器になったと思う。
 申請書を書くのにはかなり苦労した。修士を出て、研究から2年も離れていたうえ、学外のネットからはオープンアクセスの雑誌以外は読むことができない。修士時代に読んだ論文をプリントアウトしたものを家に置きっぱなしにしていたことが、奇跡的に役だった。黄色くなった紙束をクリアファイルに入れて行き、何度もスタバで読み漁った。久々に英語の論文を読んで、それを消化し、自分のストーリーを加えて申請書を書くというのは大変な作業だったけど、それを書きながら研究の将来を考えること自体が、時間を忘れるくらいにワクワクすることだったので、自分の行先はここで間違いない、という気持ちをさらに強くすることになった。最後に、先輩の研究者2名にお願いをして、査読してもらい、もらったコメントを反映して、完成させた。この2人には感謝しきれない。
 ところで学振(DC)に申請を出す場合、大学院に入学することになるので、受け入れ指導教官を指定し、推薦状を書いてもらう必要がある。僕は、修士で所属していた研究室と同じ研究室を選んだ。本当は、他にも興味がある研究室はあったし、人脈や仕事の幅を広げる意味で、修士とは別の研究室のほうが良いとも思っていた。だけど、それをしなかったのは、「学振に落ちたら博士にいかない」と決めていたからだ。一度社会人として独立した後に「今さら学費も生活費も全部自腹で大学に通う」という選択は、どうしても考えられなかった。研究は好きだけど、学振の給料ですら少なすぎだと思っていて、退職して飛び込む自分のアホさ加減にうんざりしているのに、無給でも研究やりたい、と思えるほどアホにはなりきれなかった。別の研究室に行くのに、「学振に落ちたら進学しません」という条件付きで推薦状を書いてくれ、とは言いにくい。だから、別の研究室に行くのは諦めた。幸いにも修士の頃の指導教官は、自分の考えを理解してくれ、推薦状を書いてくれた。
 そして5月中旬、もろもろの申請書類を一式そろえて提出。このときも、受け入れ先の研究所の事務員の方が知っている人だったおかげで、色々対応してくれ、とても助かった。

採択〜退職まで

 申請書を提出後、結果が出る10月まで、学振のことはあまり考えないで暮らした。会社で異動があったりして、ばたばたしているところで、ある日突然「第一次選考結果の開示について」というメールが来ていることを発見。結果は、面接なしの内定。早速、指導教官とお世話になった人にお礼の連絡をし、退職に向けた作戦を練る。普通会社を辞めるときって、次が決まってから数か月で辞めると思うんだけど、僕の場合は辞めるのが半年後の3月なので、打ち明けるタイミングが難しかった。12月とかに辞めて3月までは無職というのも考えたけど、やっていた仕事の納期が年度末に集中していたことや、少しでも会社員という経験をしておきたい、という気持ちから、3月まで働くことにした。
 一応、大学院に入学するので入学試験を受けなければならず、1月からは願書提出など、大学との事務手続きで忙しくなる。大学は関西になるので、東京から大学事務に直接行くわけにもいかず、電話と手紙を駆使して奔走。大学の制度って会社とかと比べると本当に融通が利かなくて腹が立つけど、事務員の方が協力的だったおかげで助かった。
 2月中旬に試験があったけど、学振に受かっているので入試で落ちることはないだろうと思い、ここも会社員仕込みで資料作成など省エネで臨んだところ、試験が予想以上に形式ばっていて、「フランクすぎる」と注意を受ける・・・が、なんとか合格。ここは反省。この院試で関西に行ったタイミングで、引っ越し先なども全部決めてきた。
 3月になり、正式な合格通知が来たので入学手続きを済ませ、31日付で退職、引っ越しし、4月1日から晴れて大学院生となった。

会社員から学生になってみて

 「会社員を経験したことが他の院生と差別化要因になっているか」という問いに対しては、間違いなく「イエス」だ。特に、「こだわりすぎないで時間内に成果を出す」というところや、「アウトプットの質・量を重んじる」というところは、周りよりも意識できていると思うし、僕自身も修士の頃と比べると成長できていると思う。また、研究には関係がないけど、経済や政策をはじめ、世の中で起こっている全体に対する感度は、会社で色んな業界を見てきている分、確実に他の院生よりも高い。今はとにかく自分の専門を深めるところだけど、研究をしながらも、他業界との橋渡しのような役割をいずれ持てるようになれればと思っている。
 一方で「それは3年のビハインドを許容してでも得るべきものだったか」という問いに対しては、答えは難しい。ストレートで博士課程に進んだ、修士時代の同期は、学位を取って外に飛び出すタイミングだ。研究のキャリアも僕より3年長いし、その分間違いなく専門性を積んでいる。かたや僕はこれから学位をとるのに3年を費やさなければならない。3年って長い。20代が終わってしまう。3年後に、僕は彼らと同じくらいのポジションに立てていられるだろうか?はたして僕が選んだ道は「寄り道」だったのか?それとも「急がば回れ」と言えるのか?正直、残念ながら、やってみないと分からない、としか言えないところだ。

一番思うこと

だけど、そんなことよりも、会社を辞めて、学振を取ろうとしている人がいるとしたら、一番これが言いたい。

超絶ブラック、マジで金ないですよ

修士から上がってきた院生と話していて、会社から出戻ってきた僕が一番違いを感じるのは、金銭感覚だ。学振の給料は、月20万だ。ボーナスは当然ない。莫大な額の授業料(おそらく半額免除になるが)を払わなければならないし、会社員の感覚からすると信じられないが、研究に必要な備品でも、個人が使用するものは研究費で購入できず、自腹で買わなければならない(白衣、作業着、文房具など)。
それなのに、修士から上がってきて、学振をとった院生は「研究しながら月20万円ももらえるなんてすげぇ!」と喜ぶ。僕からすると「こんなに優秀な研究者の卵を月20万円で働かせるなんて日本の科学教育すげぇ!」だ。それまで無給でアルバイトや親の仕送りに頼ってきた学生の目線からすると、月20万円は大金なのかもしれない。だけど一度会社で働いて、社会でどれくらいの能力の人間がどれくらいの給料をもらっているのかを目の当たりにすると、朝から晩まで働き、10年後の日本のアカデミアをリードする人間のほとんどが含まれているであろう彼らに、たったの年収240万円しか払わないなんて、なんたる搾取かと思う。そうでなくても、ほとんどの大学院生は、法外な授業料を払い続け、途方にくれる額の借金(なぜか名前は奨学金)を抱えているというのに。
 さらに学振は「申請テーマの研究に専念すべし」という名目で副業を全面禁止する一方で、「これは雇用関係ではない」という名目で、社会保険や年金は一切ないという、違法としか思えない論法を展開する。優秀な人間こそ、複数のプロジェクトを掛け持って、どんどん周りを巻き込んでいくべきだと思うし、そこから得られるインセンティブにも与ってしかるべきではないか。若手の段階で身分が縛られることのコストは大きいと思う。
 「好きなことやって税金で食わしてもらってんだから文句言うな」という人もいる。確かに科学(とくに基礎研究)は先の長い投資なので、自力では稼げない。税金で食わしてもらっているし、それには感謝しないといけない。だけど、研究者は決して「儲からないことに興味を持ってしまった変人」ではない。その結果が、数年後、数十年後、もしかしたら本人が死んだ後に、人類全体の役に立つかもしれない。そんな科学が、「自分を安売りしても研究したい」という人たちによって支えられているとしたら、なんとも脆弱ではないか。研究者は、子供がなりたい職業の筆頭だったんじゃなかったのか。
 僕自身、研究への興味はかなり強いほうだけど、今自分をすごく安売りしていると思っているし、これが耐えられるギリギリだと思っている。僕よりも研究への興味が少ない人は、耐えられなくて辞めていくだろうし、僕自身も、研究への興味が弱くなったり、給料がこれ以上下がったらさすがに辞めてしまうと思う。
 おそらく、会社を辞めて学振をとりたいと考えるような人は、僕と同じで、研究に未練があって、それなりに自信がある人だと思う。そして、それなりに優秀で、今の会社で比較的稼げていて、でもやっぱり物足りない、と思っている人なのかもしれない。けど、そういう人がいれば、言いたい。それくらいのことを考えている人はいくらでもいるのだと。そして、本当に大変なのは、そこから覚悟を決める勇気、実行する行動力、そして「自分を安売りしても研究がしたい」という気持ちを確実なものに固めていくことだと。修士の頃に見えていた「学振像」と、会社に勤めてから見える「学振像」は全然違う。憧れだけで選んではいけない選択肢だと、少し考えればわかる。それでもどうしても、それ以外の選択肢を考えられないという人は、行動を起こすべきだ。
 最後に、会社を辞めて学振をとることのデメリットをもう一つ。収入が激減するけど、税金関係は昨年の年収を基準にされるので、1年目は本当につらいです。家賃3.3万(駐車場込)、食費2万、授業料が半額免除、年金の納付特例が認められたとしても、国保+住民税で7.5万、学費(入学金+授業料を月割)が4.5万、家賃+光熱費+通信費が4.5万、車維持費(ガス税金保険込で月割り)1.5万、奨学金返済が1.2万、食費2万で計21.2万円で赤字です。飲み会や結婚式に誘われたり、車が故障したり、病気になったりしない想定で、これです。車持っていること以外は生活保護以下の水準かと。それでも研究がしたいと思えるのなら・・・それは間違いなく、行動に移し、命を懸けて科学の発展に尽くすべきだと思う。