未来を想像し続ける仕事


超広角で大仏様を撮ってみた@東大寺

去年の4月に安泰な生活を捨て、暗中模索状態でここまで約9か月、本当に不安の中でやってきたけど、やっと論文投稿までこぎつけて、ようやく次のステージに進んだ感覚がでてきた。あとは査読を受けて、最速で3か月ほどで受理されるというところかな。
 まぁ、喜ぶのは論文が通ってからなんだけど、今はとにかく「計画→実行→アウトプット」という研究者としての1連の仕事を1周回せたことにとても安堵している。ここまでアウトプットが無かったことがとにかく辛かった。これまで心の奥底にあった最大の恐怖が「修士の頃に論文が書けてたのは、研究テーマやタイミングに恵まれただけのまぐれだったのでは」というものだった。「果たして3年も研究を離れていてキャッチアップできるのか?」ということも、すごく不安だった。改めて、自分の手でゼロから研究を組み立てて、アウトプットまで持って行けたことは、大きな自信だ。
 もう一つ、「一連の工程感がつかめた」ということも大きい。一通り論文の原稿を書き上げるまでに、どの程度のデータ、分析、インプットが必要なのか、という点だ。当初の想定よりも多かったところも少なかったところもあった。「論文なんて会社員時代の仕事スピードでかかればすぐに終わるっしょ」とか調子に乗っていて、確かにデータ分析やグラフ化の部分では経験が生きて二度手間を最小限に抑えられ大いに捗ったけど、論文書きとなるとやはり会社の仕事に比べて科学ははるかに厳密で、過去の文献を1つも漏らさず厳密に調べ上げる作業など、想定以上に時間がかかったとともに、僕が会社に入ってすぐに感じた「会社の仕事って適当だなぁ」という感覚を再確認できた。今回の経験を通じて時間感覚が精緻化できたことで、次の作戦がかなりクリアに描けるようになったと思う。
 ただこれは、ようやく入口に立ったことを示すに過ぎない。先を見ると、天文学的に優秀な研究者達が職を賭けてすさまじい競争を展開している。今、最前線で戦っているのは、僕の10年くらい上の世代だ。10年後には、自分もそこで戦わなければならない。自分はあと10年で何ができるだろうか?10年後には、どのような研究が必要とされているのだろうか?そう考えると、本当に時間が無いと思う。


 時間が無い中で何をすべきか?最近よく考えるのが、普通に前に進むだけではダメで、世の中の変化よりも早く前に進まなければ勝てないということだ。目先のことは考えないで、常に5年先、10年先、もしかすると30年くらい先の世の中を考え続けてないとダメなのかもしれない。前職が「当たり前のことを当たり前にやりきる」ことを得意とする会社だったこともあるのかもしれないけど、無意識のうちに「前例を踏襲して低リスクな仕事を確実にこなすことで価値を出す」という思想に染まっていたような気がする。それはそれで社会には必要とする人がいた、意味のある仕事だったけど、研究者はそんなことをしていたら即死だ。未来を想像しつづけなければならない、むしろ未来のために失敗することが許されている。
 年が明けて論文を書き上げてから、確実に自分の意識がシフトアップしたような感触がある。自分はもう少し色々挑戦してみてもいいのかもしれないし、それをできるのは自分だけかもしれない。なんだか調子に乗っているけど、それくらいやらないと、やれないと、生き残れないというのも事実だと思う。僕の研究は基礎科学だけど「役に立たない」とは言わせたくない。10年後、30年後に注目を集め、世の中の役立っているかもしれないものを先回りして見つけ出して、未来を変える一翼を担う研究者になりたい。