生意気の前提化


満月@瀬田川

 僕は生意気な若者にやさしい。生意気な若者が好きだ。応援したくなる。それは、自分自身も生意気であったからだ。大したことないことを大したことのように取り上げることで自分の存在価値を確認しようとする、あの生意気な感じだ。考えるだに、あの若々しい生意気さは、悔しいしダサい。でも、今タイムマシンで過去の自分に戻れたとしても、僕はやっぱり生意気に振る舞うことしかできないだろう。あの時点の自分は、あの時点でできることを精一杯やっていて、あれ以上うまくやることなんてできそうになかったからだ。それは過去だけの話ではない。今の自分だってそうだ。今、過去の自分を振り返って「ああ大したことないことにこだわって生意気だったなぁ」と思っている自分自身、常に数か月後の自分自身に「ああ生意気だったなぁ」と思われている。今の自分にとって大したことでも、時間が経って慣れてくると、大したことなくなっていくのは、まぁ当たりまえのことだ。だからいつまで経っても、僕は将来の自分から見ると生意気な人間のままということになる。そういうどうしようもない経験を繰り返して学んだのは「だったら意識的に生意気になろう」という逆転の発想だ。「必死にやっているつもりが後から見れば生意気だった」というのは悔しいしダサい。だったら「将来の自分から見れば今の自分が生意気なのは分かってる、でもやるんすよ」という前提化メソッドでメタに立つことでプライドが傷つくのを防ぐと同時に、根拠の無い全能感を躊躇なく引き出して機動力を高めるほうが、健康的に自分の可能性を最大化できるのではないだろうか。ああ、なんて生意気なことを言っているのだろう。