人生が終わっていく


水平線に浮かぶ竹生島


 気づけば年末になっている。昨年の年末に「来年は少なくとも3本論文を出す」というようなことを言っていたけど、結局今年出版されたのは1本だけ。2本目は先月ようやく投稿して、3本目はまだデータがそろってすらない。論文を書くという行為は、想像していたよりもはるかに大変だった。前例を漏れなく調べ上げ、厳密かつ客観的な議論に基づきながらも魅力的なストーリを仕立てて、新しい価値を付け加えなければならない。そんなに楽なわけがなかった。その一方で、こういうレベルの、厳密で真剣な仕事ができる場所に戻ってこれて良かった、と改めて感じている。会社を辞めて時間が経った今でも、あの

顧客の期待値スレスレを攻め続け、質よりも量をこなすことが良しとされる環境

が自分に向いていなかったという気持ちは変わらないし、今ますますその思いを強くしている。
 だけどそうやって、会社を辞めた自分の選択が良かったと思えば思うほど、増してくる感情がある。「会社員として過ごした自分の3年間って無駄だったのかも」という気持ちだ。もちろん、これは結果論での話だ。ここで何度も書いているように、僕はもう一度人生をやり直すとしても、修士を出た段階で研究の外の世界を見てみたくなって、就職活動をして、一度会社員として生きる選択肢を選ぶだろう。それで実際に目的通り「研究の外の世界は自分に向いていない」ということを身をもって確認でき、自信をもって研究に戻ってこれたのだから、そこには後悔はないし、こうする以外に自分が納得できる方法が無かったのは間違いない。
 でも、それにしてもあまりにも、僕の仕事や生き方に対する意識は、会社で過ごした3年間を通じて変化していない。僕が会社に入ってすぐに不満に思った点と、会社を辞める時に我慢が出来なかった点と、今自分が研究に対して満足している点は、一貫していて、変わっていない。
果たして僕は3年も使って、会社員生活で何を得たのだろうか?今改めて真剣に考えると、答えが見つからない。そして、冗談抜きで、

都心に住んで、お金をたくさん稼いで、休日に金を使いまくる、という過ごし方を経験できたこと

が自分が3年間で得た、一番価値がある事だったのだと思う。テレビでしか見たことが無かった東京のど真ん中の地名が当たり前のように日常に登場し、今思えばとんでもなく高いレストランや居酒屋で当たり前のように飲み食いしていた。都心で車を持って、毎週のように高速に乗って郊外に遊びに行っていた。東京から日帰りで行ける観光地で行っていない場所はもうないのではないかというくらい遊びつくした。今後二度と味わうことのできないであろう、自分ごときにはどう考えてもオーバースペックで贅沢すぎる生活だった。これを3年間も経験できたことは、僕の視野を広げて、人生をとても豊かにしてくれた。そして「足るを知れた」ことで、「自分はどれくらいの欲を持つのがふさわしいか」という、自分の中で死ぬまで使える価値基準を得ることができた。
 けど、それって20代の貴重な3年間を使って得るべき経験だったか?残念ながら、答えはNOだと思う。僕が会社員として過ごした3年間は、毎日目の前にある仕事をやっつけて、休日を楽しみに生きる、消化するだけの毎日だった。作業的に生きていて、本当にいつ死んでもいいと思っていた。今の僕は、休日も暇があれば研究を進めたいと思うし、毎日が目標に向かっていくための濃密な日々で、未来を生きるのが楽しみで、死にたくないと思う。もし、会社で消化した3年間、今と同じ密度の毎日を過ごせていたとしたら?3年あれば出せたはずの成果の機会損失は莫大だ。
 日に日に、同年代や自分より若い世代の研究者が、自分よりも成果を出し、活躍するのが目につくようになっている。それは、僕が東京で人生を浪費している間に、彼らが積み上げた成果だ。それを見て、「20代の貴重な3年間、勿体ない使い方をしてしまった」という思いを強くし、悔しい気持ちになってしまう。しかし、悔やんでもしょうがない。経験は勝手に活きるものではなく、自分で活かさなければならない。社会がどのくらいの厳密さで回っているのかという感覚や、相手の求めるものを想像しながら人間関係を作っていくノウハウ、お金と時間を上手く使って仕事を効率よく回すスキルといった、社会人経験を通じて学んだことをうまく活かして差別化ポイントにしていかなければならない。それをきっかけにして、3年間のロスを取り返すチャンスをうかがっていかなければならない。


 この1年の自分の中の大きな意識変化の一つに、「積み上げる人生観」から「取り崩す人生観」に変わってきた、というのがある。20代も最後の1年にさしかかり、人生の残り時間を意識して生きるようになった。「できるだけ多く経験し、たくさん勉強するのが良い」という歳は、もう終わった。一人の人間が人生で実現できることは限られている。そしてそれは30代にはある程度実現しているようなものであるはずだ。もうそろそろ、手持ちのカードを増やすのではなく、手持ちのカードをいかに切って上がるかを考えないと、死ぬのに間に合わない。自分にまだ無限の可能性が思ったら大間違いで、実はすでに20代後半というのは、

現時点で自分が持っている可能性で今後の人生を勝負していかなければならない

という世代に差し掛かってきているのだと思う。
 時間を足し算でなく、引き算で意識するようになり、日々の命懸け度がますます高まっている。1分1秒がカウントダウンである、ということを、日常レベルで感じながら生きることができている。もっと早く気が付けばよかったけど、今気づいてよかったとも思う。
 来年の目標を立てようと思ったけど、目標があっても無くても全力でやれる自信があるので、とにかく命懸けで頑張ることだけ、ここで宣言しておきたい。