神頼みと綱渡りの日々


静かな朝日@樫野崎

「命懸けで仕事をしたい、冒険がしたい」といって会社を辞めて2年が経とうとしている。博士課程最後で20代最後となるこの1年、人生で最も命懸けで冒険の1年になりそうだ。次々と重い決断を迫られ、状況がどんどん変わって、未来の自分がどこでどんな気分で何をしているのか全然わからない日々。先週突然、この夏海外に長期滞在できることが決まった。知らない世界に勝手に一人で乗り込んで周りを巻き込んで研究する。誰も何も保証してくれない。全て自分次第。そんなことできるのか。いったいそこでどんな生活が待っているのか。どんな人とどんな風に働くことになるのか。想像もつかない。その後身分が保証されているのは来年の3月までで、その先は白紙。こんなに将来のことが読めないのは生まれて初めてだ。
 怖いのは不確実さだけではない。プレッシャーもこれまで経験したことがないレベルで感じている。研究の下地が固まった今、実りある30代を迎えるべく、とにかく種を撒きまくっている。自分を過大評価して、公私問わず、負債を厭わず、お金よりもタイミングを優先して、周りを巻き込みまくって、どんどん先行投資している。当然、リスクや責任も膨れ上がっていく。前倒しで色んなものに手を付けまくって色んなものが始まってしまったけど、果たして本当にクロージングできるのだろうか?失敗したらどうするのか?心の底では本当に自信が無い。だけど何もやらないわけにはいかない。だから表向きには自信満々に、大きな決断をどんどん下している。
 願った通りの、命懸けで、冒険の人生だ。いつも全力で生きているから後悔はない。日々下した決断で人生が変わるから夢中になれる。何が起こるか読めなくて楽しみだから、明日も、来月も、来年も生きていたいと思える。でもこれがいつまで破綻せずに続くのか。自信が無い。
 研究者や自営業の先輩方から見たらアホみたいな当たり前の話かもしれない。だけど、安定した大船に乗る人生ばかり歩んできた自分にとって、これからの1年は、いよいよ湾外に飛び出し、外洋の荒波に揉まれ、そこで生き抜くことができるのかどうかが試される年になるのだと思う。来年の今頃の僕が、これをほほえましく読んでいることは間違いない。だけど、どのような意味でほほえましいかは、全く想像がつかない。