1年もあれば色々ある


Český Krumlovの城下町

 あっという間に年が明けた。毎年のように年越しの時期になると「色々あって長い1年だった」という感想を持つのだけど、良く考えてみれば一生80年として「1年」は一度きりの人生の1/80もあるわけでそれは色々無いとおかしくて、「色々あった」という感想を持つこと自体が一体「何と比べて」色々あったのか実は説明ができてなくて、「1年もあればそりゃ色々あるだろ」という感想のほうが普通なんじゃないかと思うようになってきている。しかしそれにしても、あらかじめ分かっていたことだけど、2017年は本当に色々なことがあった。
 まず、結婚した。修士を出て会社員を始めた6年前の時点では「自分は結婚するのかしないのか」という疑問からスタートしないといけないレベルだったのだけど、時間をかけて色々考えた結果「結婚すべき」という結論が自分なりに納得できる形で得られて、そこから「どうせいつか結婚するのなら早くしたい」という意見に到達して実際の行動に移るまではあっという間で、運よく気が合って一生一緒にいられそうな人に出会うことができたので結婚することにした。なんだかんだで10年以上も独り暮らしをし、独身貴族として趣味に散財した会社員時代も経て、幸運にも自分には独り身の生活を十分に満喫した自信があったので、それを失うことにはあまり悲しみはなかったし、これからは家族との時間を大事にしたいと思っている。その一方で「もはや自分一人の人生ではない」ということにとてつもないプレッシャーと恐怖を感じるようにもなった。遠距離だった妻は仕事を辞めて自分についてきてくれる選択をしたのだけど、僕は社会保険も福利厚生も無く、年収240万円の学振特別研究員だ。当然毎月赤字で、日々2人の貯金を切り崩して生活している。自分一人なら「日本にいれば死ぬことはないだろう」くらいのレベルの危機感で、ボロアパートで毎食お茶漬けみたいな生活をしていても幸せに研究ができるだろう(そもそも学振DCがそのような人達を前提にしているとしか思えない待遇だ)。だけど今の僕はそういうわけにはいかない。家庭があって、年齢相応に文化的な生活をし、年齢相応に人間関係にお金を使わないといけない。だから、赤字を垂れ流しながら、博士課程が終わるまでひたすら耐えている。
 幸いにもこの3月に予定通り3年で博士号を取得し、4月からは学振PDとして別の研究機関に勤めることが内定している。学振PDの年収は434万円だから、日本の同年代の平均くらいはあるのではないか思う。僕は基礎研究に向けられる「儲からないことを好きでやってるんだから給料低くても我慢しろ」という視線は今の時代もう仕方のないことだと思っていて、いずれ儲からない基礎研究に税金を出す余裕すら一切なくなるだろうし、今もらえているだけ有難いと思っている。学振DCの年収240万円はまともに生きていけない給料で、これで副業禁止なのは本当に狂っていると思ってるけど、学振PDの434万円には文句を言う筋合いはない(もっと金が欲しいなら儲かる研究をすればいい)。だけど依然として副業禁止で社会保険も福利厚生も一切なく、国民年金・健康保険は全額負担、労災も無いので自腹で傷害保険に入らないと受入研究機関で仕事をさせてもらえない。さらに必須要件となっているラボの異動に伴う引っ越しも全額自腹だ。少なくとも人材を引き留めようという意思が全くない待遇であることだけは明らかだ。この先、多額の借金(奨学金)の返済もあるなかで、おそらく共働きでないと満足に暮らしていけないだろうし、家族には何かと迷惑をかけることになる。高給会社員時代に知り合ったのに、ここまでついてきてくれている妻には本当に申し訳なく思っている。もう自分一人の人生で無いのだから、全てを捨てて研究に打ち込むような覚悟を持つことは、憧れるが、許されない。これからますます「生活のためならいつでも辞める」という気概とプライドを強く持って、ただ淡々と、自分の好奇心を満たし人類の知の拡大に貢献するためにやるべき研究を続けていきたい。
 色々なことがあったと言えばもう一つ、この夏は2か月半ほど海外に住んでいた。「いつか海外に住んでみたい」という思いはずっとあって、かといって人生の1年とか2年をいきなり海外生活につぎ込む時間的余裕や覚悟もなかったので、良いタイミングで渡航の助成を得ることができ、海外生活が経験できたと思う。何より新婚旅行を兼ねた滞在(妻の費用はもちろん自腹)で毎週末とても楽しかったし、肝心の仕事でも「自分の研究がどれくらい海外で通用するか」という感覚がつかめて、自信が得られたこともあれば、未熟さを感じたこともでき、想像していた以上に短期間で濃い経験ができた。
 仕事に関してはこの1年、総じて言えば、これまでになく前向きな感触が得られた。去年の今頃はまだ成果が少なくて、「本当に自分に実力はあるのか、もしかして自分はやる気があるだけで実力が無い奴なんじゃないか」という不安が常にあった。だけどこの1年で自分の研究分野でトップレベルの雑誌に論文を出すことができて、自分の論文作成能力が偶然ではないことが確認できたし、水面下で進めている研究でも次々と蒔いていた種が発芽して良い結果が出はじめていて、今年は論文が量産できそうな気配がある。まだまだ業績は一人前と言えるものではなく、ここから先も手を抜くと一瞬で死が待っているけど、このまま着実にやるべきことを積み重ねていけば、それなりに花開く研究はできるはずで、そこからさらに不確実な要素によって物凄い成果に化ける可能性もあるという自信を持てるくらいにはなってきた。過去の自分の記事を読むと「毎日研究が楽しくて死にたくない」とか「人生を賭けて生きることが楽しい」ということにいちいち感動をしている時期もあったけど、今やその感触自体が当たり前のものになっていて、むしろ「あり余る可能性のどれを捨てるか」という取捨選択に命を削る日々になってきていて楽しい。本当に研究に戻ってきて良かったと思う。
 ただその裏で、取捨選択を強いられるあまり、新しいことに対する貪欲さや興味が薄れてしまっている自分の姿に気が付くことも出てきはじめた。歳を取って経験値が溜まってくると、「自分にとって無駄なモノ」を判別して切り捨てるのが容易になってくる。自分自身が触れる情報量や選べる選択肢がそもそも増えたこともあるけど、見聞きする情報のうち「切り捨てる情報」の割合がかなり高くなったように感じていて、以前より不要なものに時間をとられず効率的な取捨選択ができるようになった一方で、以前よりも多くのものが「自分には関係の無い(関わりたくない)もの」として認識されるようになってしまった。この延長線上に老害と呼ばれる状態があるのだろうなぁということを認識しつつも、今はとにかく自分のやるべきことに集中するために余計なものを切り捨てるのに精いっぱいなので、当面はこういう傾向の自分を受け入れることになるのだと思う。一昨年の年末の記事で、「カードを引くフェーズからカードを切って上がるフェーズに」ということを書いたけど、まさに自分の持っている可能性を「広げる事」より「伸ばしていく」ことに注力しなければならない段階にあると感じる。
 さて、今年の目標。「●●をやる」という目標は、自分自身でやるべきことがはっきりしていてそれに同意できている今の状況で改めて目標として言い聞かせるまでもなくやることなので、もう一段メタに立って、自分が忘れてしまいがちなことを忘れないことを目標にしたい。それは「攻めの姿勢を忘れない」ということだ。この1年で、家庭ができて、研究成果が積みあがってきて、「失うもの」が増えてきたことに重圧と恐怖を感じるようになってきていて、「人生どこまで攻めて、どこから守るべきか」というバランスが益々難しくなってきていると感じる。一方で、自分なりにこれまで社会の様々な場所で経験してきたことから感じるのは、この社会(この国)のシステムは「守りに入った人」に有利にできていて、あらゆる場面で「攻めから守りに入らせるような誘惑」を仕掛けてくるということだ。来年は今以上に研究者としての業績が溜まるだろうし、もし家族が増えるようなことがあれば、ますます「守りへの誘惑」が増えて、何も考えずにこのまま放っておくと僕はどんどん守る方向に進んでしまうだろう。もちろん、もう自分一人の人生ではないので無茶はできない。いよいよ今年から30代になってしまうし、家族にはどこかで定職に就き定住してほしいと言われていて、僕も「食えなくなるくらいなら研究を辞めてでも安定した職業に就く」ということを約束している。いずれ守りが主体の人生になってこないといけないだろう。ただその前に、攻められるうちに、「守りに入ると攻められなくなるところ」をきちんと攻めて、築けるものはしっかりと築いておきたい。だから「守りへの誘惑」に対しては、新卒採用で突然与えられる正社員の身分を疑いなく全面的に受け入れるようなことはしたくなくて、守るべき場所と攻めるべき場所を自分自身でじっくりと吟味して少しずつ体制をつくりあげていきたい。これから学振PDが切れるまでの3年間が、人生で最も自由度が高く主体的に研究ができる期間になるはずだ。与えられた絶好のチャンス、そのことを常に自覚して、成功しても失敗しても、やり残したことだけは作らないように、考え続け、行動し続けていきたい。

Mont Saint-Michelから望むイギリス海峡