久々に暴走

 プレゼン能力が欲しい。まじでほしい。
単に研究の発表に必要だから、という理由だけからではない。
RPGのキャラみたいに人間にステータスがあるとすれば、「プレゼン能力」というのは、
数あるステータスの中でもかなり重視されるパラメーターではないかと思う。


 「人間は究極的には目先の欲望しか追求しない悪魔に操られている」
そう考えると色々説明できるから、僕は最近そう考えていて、
そいつを夢中にさせるようなストーリを組み立てる能力が、
「プレゼン能力」であると僕は思っている。


 そしてそいつが夢中になりさえすれば、その方法や内容は全く関係なく、
満たされた気分になる。
例えば、興味がないと思っていた講義でも、ストーリーが面白ければ面白いし、
興味があると思っていた講義でも、ストーリが糞だったら聴く気が失せる。


 そいつは常に変化を求め、先の展開が読めない状況、何かを想像させる状況に興奮する。
退屈な話でも、話し手が突然口調を変えたり、誰かをめちゃくちゃに批判しだしたり、
程度を数値ではっきりさせたり、身近な具体例を挙げたり、逆にありえない具体例を挙げたり、
一歩踏み込んだ視点を提示したりすれば、聞き手はハッと目覚めて夢中になってしまう。
あるいは「話」自体に飽きた聞き手には、身振り手振りを加えたり、鮮やかな絵をみせたり、
やってみせたり、やってもらったりすることで、夢中を持続させることができる。


 内容が複雑になるほど、ストーリとしての構造と論理としての構造とのバランスが難しくなると思うが、
本当にプレゼン能力がある人は、どんな内容だろうが興味を持たせるストーリをつくることができる、
だから、歴史に名を残した偉人たちは、その業績も重要だけど、
なによりもプレゼン能力に長けていたからこそ、
よく知られる人物になったのではないか、と最近思う。


 ネットが発達し、情報を選ぶことが可能になったこの時代、何かを伝えたいとき、
情報のストーリー立てをしっかりさせることの重要性はますます高まるのではないかと思う。
情報の代謝能力を高めるには、同じ内容でも消化しやすい情報を食べるに限る。


 僕はインターネットの普及による情報の氾濫が
想像以上に世界を変えてしまうのではないかと思っているんだけど、考えすぎなのかな?
このことについてはまたいつか妄想を並べ立ててみたい。
責任なく、簡単にゴミ情報を発信できる世の中だ。このブログみたいに。


 一方、逆の視点から見れば、ストーリーの悪い状況を乗り越える能力も必要で、
これが「集中力」だと思う。
変化の無い状況に変化を感じるように仕向け、集中を持続させる。


 例えば、講義中にノートを取ることで手を動かし、「聴く」という行為からの変化を感じたり、
バイトの皿洗い中に、より速い方法を求めて、工夫することに変化を感じたり、
高速道路を運転中、周囲の状況とスピードと現在位置を交互に確認することで、変化を感じたり、
大掃除の途中で、少しずつキレイになること自体に変化を感じたり。


 要するに、細かい変化を増幅して悪魔をだます能力が「集中力」で、
これが物事を満足してやり続けるために必要なのではないかと思う。
これがある人はより多くのことに夢中になれる。


 でも、その集中力の源は何なのか?
わざわざ悪魔をだますエネルギーはどこから生まれてくるのか?


 そう考えたとき、やっぱりそれは、
自分自身がプレゼンしている「人生」というストーリーに夢中になっている
「上級の悪魔」がいるからなんだろうな、って思った。
だから、「今が楽しければいい」というのは通常の悪魔の思考だけど、
「将来のために今は辛いけど頑張る」とかいうのは、
通常の悪魔をだます、上級の悪魔の思考だと思う。


 上級の悪魔を満足させることができなくなれば、大変なことになる。
通常の悪魔が単純に満足している間はそれでいいが、
世界はそんなに夢中になれることばかりでないので、
だましてくれる上級の悪魔がいなくなれば、当然不満になる。
不満になると、通常の悪魔は満足を求めてヤバい行動に走るか、
満足できないことに無気力になる。


 だから、人生をうまくプレゼンして、上級の悪魔に変化を与え続け、
満足させるストーリー作りが大切で、それが「将来を考える」という今の状況なのだ、という最近の分析。
中途半端に未来を読める人間の脳のちょうど良い使い方だと思う。
しょうもない妄想だ。


 ちなみに、親にも相談して、
来年は大津に移住する可能性が高くなった。
京都を出るということは、色々な可能性を捨ててしまうということで、
こんなしょうもない妄想が発生するくらい悩んだけど、
今の自分の考えではそれ以外に満足する方法がない。
というか決断までに時間がなさすぎる。
こんだけ悩めばまぁ文句ないだろ。