恵まれた2010年代に満足と感謝
斜陽に透ける紅葉@猪苗代
今年もあっという間だった。いつものようにここで1年を振り返ろうとしてみるものの、今年はあまり大きな反省や達成感がない。細かく思い出せば、うまく行かなくて悔しかったこともうまく行って嬉しかったこともある。だけど1年を総括するような感想はない。歳をとって、現実を受け入れる能力が高くなりすぎてしまったのだと思う。理想と現実のギャップに苦しんでいた若いころは、今から思えばしょうもないことでも真剣に考え、そのギャップを埋めようと必死に悩んでいた。身の程を知り、様々な経験を積んで、計画通りに物事を運べることが増えた。反面、感情の起伏が小さくなって、良くも悪くも淡々とした日々を過ごすようになった。だから1年を振り返っても、淡々としている。向上心が無くなってしまったわけではない。目標は明確に持っているし、些細なことに悩んで寄り道する時間が無くなった分、むしろ以前よりも効率よくゴールに向かっている感触はある。ただ、もう若いころのような悩み方はできないのかもしれないなと思うと、少し寂しい。
この1年で最も大きなイベントといえば、5月に娘が生まれた事だ。半年余りたって、ようやく娘がいる生活に慣れてきたような気がする。と同時に、後戻りのできないステージに来てしまったのだなという実感が出てきた。「結婚」や「子育て」が未経験のライフイベントとして残されていた頃は、不確実な未来に対する期待と不安があった。が、それらが現実になった今、もうあの頃のような感情は味わうことはできないのだなと実感する。当然だけど、子供ができたら、もう子供がいない生活に戻ることはできない。世の中の全ての父親が通るレールに遂に自分が乗ったこと、そしてそれが一生続くことに対して、重圧を感じている。
分かっていたことだけど、子供ができてから、圧倒的に時間が無くなった。子供の面倒をみるのは大変だし、日々成長してどんどん変わっていく娘と一緒に遊ぶ時間もできるだけ長くとりたい。一方で、仕事もこれからの数年が一番大切な時期だ。健康にも気を使わなければならない歳になってきて、体力維持で続けているランニングや自転車の時間も削りたくない。妻の協力と理解を得て、育児以外の活動に費やせる自分一人の時間はかなり取らせてもらっていると思うし、職場での飲み会なども最低限は参加させてもらっている。これは本当に有り難い。だけどそんな一人の時間も、常に妻に負担をかけることで捻出されていて、無駄にすることができないというプレッシャーのもとに過ごさなければならなくなった。一人で心の底から自由だと感じる時間は無くなったし、そういう時間はしばらくは諦めないといけない。
2010年代、僕は悩み多き大学生活を終え、修士課程を2年、会社員を3年、博士課程を3年、ポスドクを2年やった。独身を7年楽しみ、夫婦だけの生活を2年楽しみ、今年子供が生まれた。この10年、かなり好き勝手やらせてもらって、とても順調で恵まれていたと思うし、この10年で人生の可能性と魅力を高めることができたと自信を持って言える。このことにはとても満足しているし、感謝している。2020年代、ここまでの10年のような自由さや派手さはないだろうけれど、そのことを悲観せず、思いっきり暴れた2010年代で得られた満足と自信を糧に、淡々と目標に向かっていく日々を楽しみたい。
ライフステージが一つ上がった
初日の出@鉾田
元号が変わってすぐ、おそらく令和生まれ最初の1万人に入るであろう長女が生まれた。自分の子供に初めて会ったときどんな感想が発生するのかはとても興味があるところだったけど、一番最初にあったのは、とにかく母子健康な結果に終わってよかった、という感想で、次にその目を見て、意思のある生きた人間がこの世に産まれてきたのだ、という実感が沸いた。そして「この目は22世紀を見るのかもしれないし、この目で最後に見た人は23世紀まで生きるのかもしれない」ということを考えて、この子が自分に代わって未来を生きてくれるのだ、ということを考えた。
今、それから3か月余り経つけど、怒涛の勢いで成長している。日に日にできることのバリエーションが増えていて、「今の娘にはもう二度と会えない」と思うと、毎日できるだけ見ていてあげたいと思うのだけど、それでも追い付かないくらい、自分の脳に記憶が書き込まれるスピード以上にどんどん成長している。最初は動物的なかわいさだったけど、だんだんと意志のある動きを見せるようになってきて、人間的な可愛さになってきている。これが言葉を話し出したりしたらどれだけかわいいのだろうかと思う。
ところで僕は周囲から「結婚とか子供とか興味ないのかと思っていた」とよく言われる。確かに僕はとても多趣味で、仕事でも大きな目標があって充実しているし、平日も休日も含めて一人でも十分に人生を楽しめる自信がある。だけどそれは「一人でいることが好きだから」というよりは、「あれこれ行動して体験してみることが好きだから」と言うのが正確だろうと思う。なので僕にとって、結婚や育児は、「せっかくそういうイベントを体験する可能性が人生に用意されているのだから体験してみたい」という考え方のもとの行動と考えれば、一貫性があるのではないかと思う。
もちろん、結婚や子供は一度スタートすると後戻りできないという点で、気軽に挑戦できる趣味とは別物だし、投入する費用や時間も人生スケールでかかってくる。だからこそ僕は、人生の残り時間との兼ね合いの中で、自分なりの考えを煮詰めてきた。結婚も子供も自分の意志だけで決まるものではないけれど、結果として今のタイミングになったのは、十分に考えたうえでの結論だ。確かに、独身時代と比べると一人の時間はほぼ無くなって、趣味も大幅に制限せざるを得なくなり、そのことを寂しく感じることもある。だけど、一人暮らしを10年、独身貴族として自由に散財できる(不当に)高給なサラリーマンを3年やったことで、世間的には十分に一人の時間を楽しんだはずだ。その満足感があるから、これから家庭のことに時間を割くことには不満や不安はないと言えるのだと思う。もしこの生活が、もっと若くして、一人の時間をほとんど過ごすこともないままに始まっていたとしたら、耐え難いストレスを抱えていたのではないかと思う。だから、若くして結婚して子供を育てている人たちはすごいと思うし、その分、人よりも早く子供が独立して楽になるのだろうから、そこから大人だけの人生を楽しむべきだと思う。自分の母親がそうだったから、余計にそう思う。
今僕がこのように考えることができるのも、幼い頃から自由に意思を尊重して育ててもらって、ここまでの人生を自分なりに選択して生きてこられたと思えるからだ。僕はそのことにとても感謝と満足をしているので、自分の娘もそのようになってほしいと思う。だとすれば、娘が自分では何もできず、何もかもの世話をさせてくれる今の状況も、今しかない貴重な時間だ。意志を示し始めた段階でもう一人の人間として尊重しなければならないし、自分の人生を生きてもらわなければならない。僕には22世紀まで日本が存在しているのかも、世界が平和に存在しているのかも分からない。世の中はどんどん便利になるだろうけれど、それで豊かで余裕のある世界に向かっているのかどうかも分からない。楽なことばかりではないことは確実だ。だからどんな世界になろうと、娘が自分の意志と可能性を信じて前向きに生きていけるように導いていかなければならないと思う。
いつまでも勉強すれば道は開ける
秋晴れ@水戸
やることが多すぎて普通の月末のような雰囲気で淡々と暮らしているのだけど、今年もあと2日しかないらしい。いつものように去年自分が何を言っていたのかの確認と、来年自分がどうしたいかの宣言をしておきたいと思う。
今、1年前に自分が書いた記事を改めて読み返すと、去年の自分は案外正しく自分の将来を案じていて、この1年で軌道修正を図れたのではないかと感じた。歳をとって自分の興味の幅が狭くなっていく危惧や、攻めの気持ちを忘れずにいたいという決意を綴っている去年の自分は、今思えば実際に気が緩んでいた。一言で言い表すなら「勉強する習慣」を忘れてしまっていたのだと思う。いつの間にか、僕はちゃんと勉強しない人間になっていた。
その根本原因は自分の意志の弱さにあるのだけど、そのきっかけには会社員時代の経験があるのではないかと思う。修士までの学生時代は勉強して新しい知識を体系的に脳に叩き込むことは日常だった。ところが会社員になってからは人付き合いと付け焼刃の知識で乗り切るような仕事ばかりで、がむしゃらに勉強することを全然しなくなってしまった。今思えば、あまりにも誰も勉強をしない世界だった。いつの間にか、
成人して会社に入ったらもう一人前で、「脳みそを限界まで使って新しいことを勉強して複雑なことを理解する」みたいなことをしなくても良いのだ
という錯覚が自分の中に出来上がっていた。その後、会社を辞めて研究に戻ってきてから、最前線に追いつくためにそれなりに論文や教科書を読んできた。でもそれはあくまで「論文を書くために必要な情報取集」という位置づけで、以前のように脳みそを使い切るような勉強の仕方ではなかった。だから、この先自分の視野が広がっていくことが無いように感じていて、そのことに危惧を感じていたのだと思う。
この1年で、研究が進んで、これまで以上に多様なテーマに手を付けるようになった。そこで、まだまだ自分の知らない世界が山のようにあって、将来の可能性も自分の勉強次第でまだまだ広がることに気が付くようになった。そして、自分がいつの間にか勉強しない人間になっていたことを自覚するようになった。勉強は学生時代で終わりではなく、いつまでもし続けなければならないし、それによっていつまでも可能性を広げ続けることができる。そう考えるようになって、質や量の高い知識を手に入れるため、学生時代のように、脳みその限界まで使って勉強する努力を惜しまないようになった。
確かに歳をとれば、巻き戻せない過去は増えていき、未来の時間は減っていき、選べない選択肢は増えていく。だけどそれは一方的に将来の可能性や自分の視野が狭くなっていくことを意味しない。狭くなるものもあるかもしれないが、自分の視野も可能性も、まだまだ広げ続けることができる。そのために必要なのは、勉強し続けることだ。思っていたより、人生はいつまでも攻めることができる。今の自分は、去年の自分よりも、未来の可能性の広がりに期待を持てている。今、自分がこう思えていることを、去年の心配していた自分に伝えたい。
来年で31歳で、30代が本格スタートする。今の自分が20代までの自分の努力の貯金で成り立っているとするなら、30代にやったことは40代で活きるのだと思う。しぼみかけていた20代後半を取り返すつもりで、しっかり勉強して、視野と可能性を広げていきたい。来年の今頃、「去年よりももっと未来の可能性が増えて楽しみになった」と言えるようにするのが来年の目標だ。
世界は偶然が支配している
開聞岳の夜明け
人生って本当に偶然の連続だと思う。
- 幼稚園のあの時、親があの本を買ってきてくれなかったら、僕が算数を好きになることはなかったかもしれない。
- 小学生のあの時、あの友達に会わなかったら、僕はこんなに好奇心旺盛な人間になってなかったかもしれない。
- 荒れていた公立中学校に通っていたあの時、最初のクラスで出席番号が隣で仲良くなったのがあの友達ではなく、あの悪ガキだったら、僕は大学には行ってなかったかもしれない。
- 中学校の部活で、あの先輩と仲良くなっていなかったら、僕は進学校に行くことも、地元を出ることも考えなかったかもしれない。
- 高校の進路相談での担任のあの一言がなければ、僕は別の学部に進み、今とは全く違った分野で働いていたかもしれない。
- 大学のとき、あの一言をあそこで言わなければ、僕は後悔と挫折を味わうことも、そこから立ち直って自分を見つめなおすこともなかったかもしれない。
- 大学院の研究であの実験の失敗がなければ、自分はあの現象に気が付くこともなく、研究者になるきっかけを逃していたかもしれない。
- 就活のインターンであの人と同じ班にならなければ、あの社員が担当でなければ、僕はより給料の高い別の会社の内定を蹴ってまであの会社に入ることはなかったかもしれない。
- 会社員時代のあの飲み会に行けなかったら、僕は今の妻には会えなかったかもしれない。
- あの休日、天気が悪くて予定を翌々週に延期していたら、僕はあの大事故に巻き込まれていたかもしれない。
- あの論文の査読者とエディターが違う人だったら、業績が間に合わずに、僕の今の立場は無かったかもしれない。
少し考えるだけで、いとも簡単に自分の人生が全く違うものになっていたかもしれない偶然のイベントがいくらでも思いつく。今の自分の立場は、自分の努力の上に確固として成り立っているものなんかでは全然なくて、再現性の無い中立な偶然の積み重ねの上に立っているだけの不安定な存在だ。
もっと考えると、自分が日々脳みそで考えていることも、今まで思っていたような確固としたものでは全然なくて、偶然的で再現性の無いものだと感じる。自分が今複雑なことを考えられていることも、奇跡的なことのように感じるし、ふとしたきっかけで、今と同じことが急に考えられなくなってもおかしくないとも思う。当たり前のように他人と会話で意思疎通ができることも奇跡のような気がしてしまうことがあって、失語症や失読症だって無関係な話ではなく紙一重のところに存在していて、ふと今の自分を支えている偶然が途切れてしまったとたんに、自分が急にそうなってしまう可能性だって全然想像できてしまう。嫌なことが起こった時に、子供みたいに発狂せずに理性で自分を抑え込めるのは、当たり前のように見えて、実はすごく高度なことで、認知症になったことは無いけど、自分の脳が感情を抑えきれなくなる状況や、認知症になりうる未来は想像できてしまう。それくらい、脳みそは偶然で脆弱なものに支配されていて、信頼できるものではないと感じる。
こんな世の中だから、明日だってどうなるか分からない。これからも、おそらくこれまでの人生以上に長い期間、不確実で再現性の無い偶然に支配されながら、でもそれを無意識に受け入れながら生きていくのだろう。自分にできることは、偶然やってきたチャンスを少しでも多くつかんで、そこに正しくリソースを注ぎ込んで、精一杯やりきって、楽しむことだ。そのために必要なのは、いつまでもアンテナを張って勉強し続ける向上心・好奇心と、変化を厭わず進み続ける行動力なのではないかと思う。それでもし幸せだと感じられる未来が来たときは、自分の幸運に感謝しなければならない。
歳をとって記事が書きにくくなった
オフシーズン@ひたち海浜公園
ブログの更新がなかなかできない。忙しいということももちろんあるけど、それ以上に文章が書けなくなってしまったように思う。面白いネタを思いついたら書き留めておいて、時間があるときに更新しようとは思っていて、たまに画面を開くところまで来るのだけど、いざ書き始めると、文章の構成がなかなか決まらずに、あれこれと考えている間に1時間くらい経っていたりして、アホらしくなって止めてしまう。そういうことが何度もあった。
なんでそうなってしまうのか?最初は単に「思考力が衰えて自分の頭の中身を文章にする能力が下がってきた」のではないかと思って危機感を抱いていたのだけど、もう少し考えてみて、歳をとって物事が多方向から見えるようになったことと、研究者生活での論文書きなどを通じて文章を厳密に書くのが習慣になってしまったことが理由ではないかと思うようになった。ふと思いついたネタを膨らませて文章を書こうとするときに、そのまま勢いで書いてしまっていた昔と違って、別の立場から見たらどう思うだろうか、そこに論理の矛盾がないだろうか、ということを考えてしまい、別の方向から見た時に叩かれそうなところがあれば、一般化しすぎないように主張をトーンダウンしたり、補足説明を書き加えたりすることになって、どんどん時間が経つ。そうしているうちに、もともと言いたかったことがほとんど言えなくなってしまって、結局取り下げることになってしまう。
言い換えるとこれは「外に出す前に自分の頭の中で説明がついて消化できてしまう現象」が増えてきたということなのかもしれない。だとすれば、外からの情報や環境によって自分のモノの考え方が大きく影響を受けるようなことはこの先減っていくのだろう。バランス感覚が整ってきたという意味では良いことなのかもしれないが、丸くてつまらない大人になってしまったような気がして残念だし、このまま考え方が固定されていって「老害」になってしまうとしたらそれは嫌だ。この文章も、推敲しすぎると消してしまいそうなので、今考えていることを考えられているうちに出しておく。
失敗を恐れて真面目に生きてきてよかった
新しい環境に移ってから半年が経とうとしている。学振ポスドクなので、毎日ほぼ100%の時間を自分のやりたいことに費やせていて楽しい。当然だけど、自由には責任が伴う。意味のあることに時間を使うための努力と思考を止めないよう、気を緩めず自分を律し続けている。
一方で「この世を生きるのはそんなに難しいことではない」と最近思うようになった。というより、今まで自分は生きることの難しさを過大評価していたのだと思う。大人は子供に「大人になったら大変だ」と言うし、会社員は学生に「会社に入ったら大変だ」と言うし、ポスドクは学生に「ポスドクになったら大変だ」と言ってくる。だけどそんなことを言われながら、自分自身が歳をとって、人生も中盤になり、攻めどころと守りどころのバランスを考えたり、落としどころを探し始めたりするようになって見えてくるのは「そんな必死に頑張らなくても全然普通に生きられそうじゃん」ってことだ。真面目に生きるように脅されて、その通りに真面目に生きたら、真面目にやっているだけでも世の中では価値があるかのように扱われる。真面目に生きるように脅してきた大人には全然真面目じゃない人がたくさんいて、そういう人たちにも居場所は全然ある。ここでいう「真面目」っていうのは、抽象的だけど、学校で「良い子」として教わるような態度だと思っていて、約束を守るとか、言ったことを最後までやるとか、間違いを反省するとか、そういうレベルの話だ。
ポスドクは茨の道だと言われていたけど、いざなってみて、周りを見渡してみればそこまででもない。真面目にやっていれば、そして行先を選り好みしすぎなければ、普通に職は見つかる。なので以前は、博士課程に行くかどうかを迷っている人に相談されたら、「良く考えたほうが良い」と言っていたけど、最近は「今行きたいなら行ったほうがいい、真面目にやってれば必ず職はある」と言うようにしている。
思っていたよりも世の中ははるかに自由でイージーだ。山頂に続くレールばかり見えていたけど、実はその麓には広い裾野が広がっていて、そこにも人がたくさん住んでいる。正直な話、今からサボって生きても、今までの自分の努力の貯金を消化しながら居場所を見つけ続けられるのではないかとも考える。こういうことを思うようになって、自分を律して努力し続けることの意味が変わってきたと感じる。「失敗したくない」という感情ではもうモチベーションが続かない。何が失敗なのか分からないからだ。自分が明らかにしたいこと、挑戦したいことは何なのか、そのためには1日1日をどう過ごせばよいか、を考え続けることで自分を律し続けなければならないと思う。その結果として、一流の研究者になれれば面白い。
色々遠回りしてようやく健康的に自分のやりたいことを追えている感が出てきた。失敗を恐れて真面目に生きる必要はなかったが、失敗を恐れて真面目に生きてきてよかったとは思う。自分の生き残りで頭が一杯だったのも過去の話になってきて、自分を真面目に育ててくれた環境やお世話になった人にお返ししたいという気持ちも出てきた。
なんか半年前の記事とはまるで逆のことを言っているような気がするけど、今、ポスドクになって半年で率直に感じていることを記録しておく。
ミスるのが怖い
マッターホルンを望む@Riffelberg
人生6度目の引っ越し。物件探しも慣れたもので、物件検索サイトの条件絞り込み機能・お気に入り機能・新着アラート機能を駆使して今回はサクサクと決めることができた。引越しに限らず、結婚だったり車や保険の購入だったり、人生に数回しかないライフイベントでは必ずこちらの経験の浅さに付け込んで業者がぼったくってくるけど、引越しに関してはこちらももはや素人ではないので、前の物件では退去立ち合いで騙し取られた2万円を契約書を根拠にして取り返したし、今回の引っ越しでも仲介業者や引越し業者と強気に交渉して納得のいく金額で契約できた。それでもなお、後になって調べてみるともっと削れた予算があったり、無駄な情報を調べることに時間を使ってしまっていたりしていて、次の引っ越しに向けて改善できそうなことはある。本当に引越しというのは面倒で、金がかかって、交渉ばかりで心が疲れる。
そんな引越しの準備をしていると、毎度のことながら、懐かしいものが発掘されて手を止めて読み込んでしまうのだけれど、高校や大学受験、就職活動で自分がやってきた事の記録を改めて見直してみて、自分は本当にここまでミスのない人生を歩んできて、そのために物凄い努力をしてきたのだなと感心する。それを可能にしてくれた環境や周囲の人々の支えがなければ今の自分はあり得なかったのも事実だけど、これまでの自分の途方もない努力が無ければ今の自分があり得なかったのも事実だと思う。会社を辞めて研究に戻ってきてからの3年も、結局今振り返ってみると、自分の思い通りの方向に物事を進めて成果を出し、やるべきことをミスなく実現してこれたように思う。本当に上出来だと思うし、頑張ったと思う。だけどここまでミスなく来れたからといって、この先安心できるというわけではない。今の僕はやっぱり不安で、自分がやっていることがこの先思い描いているような成果にちゃんと繋がるのかどうか、全く自信が無い。そして3年後や5年後にどこで何をやっているのか、あても無いし、想像もできない。だからこれからもミスらないように気をつけないといけない。そのためにできるのは、これからもひたすら目の前の事を、自分のベストを尽くして必死にやり続けることだけだ。一体そのゴールはどこなのだろう。世の中のスピードがますます速くなって、生き残りをかけた戦いがますます激しくなっていく中で、安心して「あとはのんびり余生を送って死ぬだけだ」と言えるような時が僕に来ることは、ずっと無いような気がしている。まぁ、それならそれで、そのつもりで死ぬまで必死に生きていればいいので、それでいい(というか、そもそも生物には「余生」なんてものはなく、生き残れなくなったら死ぬだけで、それが普通だ)。あとはとにかく心身健康であってほしい。僕は体が不自由になったとたんに、精神的にもおかしくなってしまう気がしていて、とにかく健康を損なうことが怖い。だから、結局健康第一なのだと思う。死ぬ寸前まで健康に生き残ることができれば、それがゴールで、満足だ。ちゃんと食べて寝て運動して、必死に頑張る。それを淡々と続けていく以上にできることはない。これからもミスれない。ミスるのが怖い。