いつまでも勉強すれば道は開ける
秋晴れ@水戸
やることが多すぎて普通の月末のような雰囲気で淡々と暮らしているのだけど、今年もあと2日しかないらしい。いつものように去年自分が何を言っていたのかの確認と、来年自分がどうしたいかの宣言をしておきたいと思う。
今、1年前に自分が書いた記事を改めて読み返すと、去年の自分は案外正しく自分の将来を案じていて、この1年で軌道修正を図れたのではないかと感じた。歳をとって自分の興味の幅が狭くなっていく危惧や、攻めの気持ちを忘れずにいたいという決意を綴っている去年の自分は、今思えば実際に気が緩んでいた。一言で言い表すなら「勉強する習慣」を忘れてしまっていたのだと思う。いつの間にか、僕はちゃんと勉強しない人間になっていた。
その根本原因は自分の意志の弱さにあるのだけど、そのきっかけには会社員時代の経験があるのではないかと思う。修士までの学生時代は勉強して新しい知識を体系的に脳に叩き込むことは日常だった。ところが会社員になってからは人付き合いと付け焼刃の知識で乗り切るような仕事ばかりで、がむしゃらに勉強することを全然しなくなってしまった。今思えば、あまりにも誰も勉強をしない世界だった。いつの間にか、
成人して会社に入ったらもう一人前で、「脳みそを限界まで使って新しいことを勉強して複雑なことを理解する」みたいなことをしなくても良いのだ
という錯覚が自分の中に出来上がっていた。その後、会社を辞めて研究に戻ってきてから、最前線に追いつくためにそれなりに論文や教科書を読んできた。でもそれはあくまで「論文を書くために必要な情報取集」という位置づけで、以前のように脳みそを使い切るような勉強の仕方ではなかった。だから、この先自分の視野が広がっていくことが無いように感じていて、そのことに危惧を感じていたのだと思う。
この1年で、研究が進んで、これまで以上に多様なテーマに手を付けるようになった。そこで、まだまだ自分の知らない世界が山のようにあって、将来の可能性も自分の勉強次第でまだまだ広がることに気が付くようになった。そして、自分がいつの間にか勉強しない人間になっていたことを自覚するようになった。勉強は学生時代で終わりではなく、いつまでもし続けなければならないし、それによっていつまでも可能性を広げ続けることができる。そう考えるようになって、質や量の高い知識を手に入れるため、学生時代のように、脳みその限界まで使って勉強する努力を惜しまないようになった。
確かに歳をとれば、巻き戻せない過去は増えていき、未来の時間は減っていき、選べない選択肢は増えていく。だけどそれは一方的に将来の可能性や自分の視野が狭くなっていくことを意味しない。狭くなるものもあるかもしれないが、自分の視野も可能性も、まだまだ広げ続けることができる。そのために必要なのは、勉強し続けることだ。思っていたより、人生はいつまでも攻めることができる。今の自分は、去年の自分よりも、未来の可能性の広がりに期待を持てている。今、自分がこう思えていることを、去年の心配していた自分に伝えたい。
来年で31歳で、30代が本格スタートする。今の自分が20代までの自分の努力の貯金で成り立っているとするなら、30代にやったことは40代で活きるのだと思う。しぼみかけていた20代後半を取り返すつもりで、しっかり勉強して、視野と可能性を広げていきたい。来年の今頃、「去年よりももっと未来の可能性が増えて楽しみになった」と言えるようにするのが来年の目標だ。