ライフステージが一つ上がった

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初日の出@鉾田


元号が変わってすぐ、おそらく令和生まれ最初の1万人に入るであろう長女が生まれた。自分の子供に初めて会ったときどんな感想が発生するのかはとても興味があるところだったけど、一番最初にあったのは、とにかく母子健康な結果に終わってよかった、という感想で、次にその目を見て、意思のある生きた人間がこの世に産まれてきたのだ、という実感が沸いた。そして「この目は22世紀を見るのかもしれないし、この目で最後に見た人は23世紀まで生きるのかもしれない」ということを考えて、この子が自分に代わって未来を生きてくれるのだ、ということを考えた。

 今、それから3か月余り経つけど、怒涛の勢いで成長している。日に日にできることのバリエーションが増えていて、「今の娘にはもう二度と会えない」と思うと、毎日できるだけ見ていてあげたいと思うのだけど、それでも追い付かないくらい、自分の脳に記憶が書き込まれるスピード以上にどんどん成長している。最初は動物的なかわいさだったけど、だんだんと意志のある動きを見せるようになってきて、人間的な可愛さになってきている。これが言葉を話し出したりしたらどれだけかわいいのだろうかと思う。

 ところで僕は周囲から「結婚とか子供とか興味ないのかと思っていた」とよく言われる。確かに僕はとても多趣味で、仕事でも大きな目標があって充実しているし、平日も休日も含めて一人でも十分に人生を楽しめる自信がある。だけどそれは「一人でいることが好きだから」というよりは、「あれこれ行動して体験してみることが好きだから」と言うのが正確だろうと思う。なので僕にとって、結婚や育児は、「せっかくそういうイベントを体験する可能性が人生に用意されているのだから体験してみたい」という考え方のもとの行動と考えれば、一貫性があるのではないかと思う。

 もちろん、結婚や子供は一度スタートすると後戻りできないという点で、気軽に挑戦できる趣味とは別物だし、投入する費用や時間も人生スケールでかかってくる。だからこそ僕は、人生の残り時間との兼ね合いの中で、自分なりの考えを煮詰めてきた。結婚も子供も自分の意志だけで決まるものではないけれど、結果として今のタイミングになったのは、十分に考えたうえでの結論だ。確かに、独身時代と比べると一人の時間はほぼ無くなって、趣味も大幅に制限せざるを得なくなり、そのことを寂しく感じることもある。だけど、一人暮らしを10年、独身貴族として自由に散財できる(不当に)高給なサラリーマンを3年やったことで、世間的には十分に一人の時間を楽しんだはずだ。その満足感があるから、これから家庭のことに時間を割くことには不満や不安はないと言えるのだと思う。もしこの生活が、もっと若くして、一人の時間をほとんど過ごすこともないままに始まっていたとしたら、耐え難いストレスを抱えていたのではないかと思う。だから、若くして結婚して子供を育てている人たちはすごいと思うし、その分、人よりも早く子供が独立して楽になるのだろうから、そこから大人だけの人生を楽しむべきだと思う。自分の母親がそうだったから、余計にそう思う。

 今僕がこのように考えることができるのも、幼い頃から自由に意思を尊重して育ててもらって、ここまでの人生を自分なりに選択して生きてこられたと思えるからだ。僕はそのことにとても感謝と満足をしているので、自分の娘もそのようになってほしいと思う。だとすれば、娘が自分では何もできず、何もかもの世話をさせてくれる今の状況も、今しかない貴重な時間だ。意志を示し始めた段階でもう一人の人間として尊重しなければならないし、自分の人生を生きてもらわなければならない。僕には22世紀まで日本が存在しているのかも、世界が平和に存在しているのかも分からない。世の中はどんどん便利になるだろうけれど、それで豊かで余裕のある世界に向かっているのかどうかも分からない。楽なことばかりではないことは確実だ。だからどんな世界になろうと、娘が自分の意志と可能性を信じて前向きに生きていけるように導いていかなければならないと思う。