自己嫌悪ループから抜け出すための文章


アジサイの森@三室戸寺

 論文書きや申請書書きが山積していて、のんびりしているヒマは無いのだけど、どうにもこうにも、腹が立って悔しくて、仕事に手がつかないので、長文を殴り書く。
 退職して学振で研究の世界に戻ってきて1年3か月が過ぎた。仕事は順調だ。復帰後初となる論文も納得いくレベルのジャーナルに通せたし、さらなる大作となる予定の次の論文を、分野のトップジャーナルに通すべく、日々実験と論文執筆に勤しんでいる。さらにその先、今の研究を発展させ、新たな研究領域を切り拓いていけるかもしれない手ごたえもつかめてきた。少なくとも、5,6年先くらいまでは、やるべきことが明確になっている。土日は遊びたくてしょうがなかった会社員時代とは違って、土日も仕事を前に進めたくてしょうがない。趣味や旅行に遊びに誘ってくれる人がいるおかげで休日を作れているけど、無ければ365日働き続けていると思う。それほど、人生と仕事が一体化していて、楽しい状態だ。
 じゃあ何が悔しくて腹が立つのか。単刀直入に言えば、お金の話だ。正確に言えば、お金の話をしてしまう自分に悔しくて腹が立っている。僕がお金の話をすると「またか」と思われそうだ。今の職場では、僕は周りの大学院生に比べて、公私において、何かとお金の話を好むキャラとなっている。それは、僕が会社員経験を経て、お金の力を十分に知ってきたからというのもあるし、基礎研究と言えど今時はスピードと技術がモノを言う、お金を上手く使った人間が成功する世界になってきていると感じているからというのもある。
 だけどそれ以上に、僕がお金の話をしてしまったり、それで悩んでしまったりする圧倒的な理由は、「会社員の仕事ぶり・生活ぶりを知ってしまっていて、どうしてもそれと比較してしまう」というのがある。僕はこの話をするときは色々予防線を張ってからにするのだけど、ここではその必要は無いと判断して、単刀直入に言う。「レベルの低い仕事で給料を安定してたくさんもらえる」というのが、僕の中での会社員像になってしまっているのだ。一方でアカデミアでは「レベルの高い仕事をしている人間が信じられないくらい低い給料で働いている」のを日常的に見ることができる。もちろん、自分の観測範囲の話を安易に一般化すべきでないというのは分かっている。だけど少なくとも「僕はその両極端の事例を見てしまった」という点において、また、自分自身「身分不相応な高い給料をもらう立場から、仕事不相応な低い給料をもらう立場まで経験した」と感じているという点において、その二つを比較して、悪態をつく権利くらいはあるのではないか、と思ってしまうのだ。
 こんなことを言うと「会社員馬鹿にすんな」という声が聞こえてきそうなので、3つ言い訳をしておきたい(やっぱり予防線を張る)。一つは、僕は会社員個人に対してそのような感覚を持っている訳ではなく、会社のシステムに対してそう思っているということだ。かつての自分も、多くの友人も、自分の親だって会社員だし、会社員個人に対しては何の否定的感情もない。新卒採用も終身雇用も年功序列も、理不尽な点は多々あれど、会社だけでなく、社会の安定に貢献する素晴らしい制度であり、多くの人たちがそれによって幸せに生きられているということはよく理解している。ただ、今の自分の環境と比較してしまう対象として、かつて自分が所属し、目の当たりにしてきた、一般的な(大企業の)会社員という生き方を想像してしまうというだけだ。
 もう一つは、「レベルが低い」というのは僕の偏った視点からの評価でしかないということだ。ここで僕が言うレベルとは「こだわりが込められている」「知識・技術がすごすぎて鳥肌が立つ」というような抽象的かつ精神的な指標であって、「売上」という絶対的な指標で動いている一般的に会社員からすると「不要なこだわり」だと思われているモノたちだ。だから多くの会社員にとって理想の「誰がやっても楽にたくさん稼げる仕事」も、僕からすれば、誰でもできてしまう、こだわりの感じられないレベルの低い仕事になってしまう。600%の努力を割くのなら、10個の60%で効率よく稼ぐよりも、6個の100%で人に鳥肌を立てさせたい、とか考えてしまう。まぁ、こんなんだから会社が合わなくて辞めたんすけどね。なので、「レベルが低い」という刺激的な言い方をしたけれど、それは上述のような、会社ではむしろ仕事ができないとされる人間が考えるような、非効率で精神論的な観点からの意見でしかない。それに僕は会社員生活を通じて、お金を稼ぐことの大変な面も、「稼ぐ」という行為が持つ説得力の強さもそれなりに見てきたつもりで、「稼いでない奴が何を偉そうに、自分で稼いでみろよ」といわれると、自分みたいな基礎研究者は黙るしかないことも分かっているつもりだ。
 そして最後の言い訳は、だからこそ、こういう事を考えてしまう自分自身を、僕は全く正当化していなくて、むしろ自己嫌悪を感じているということだ。会社員は「需要に応えてお金を貰う」という価値基準に忠実に仕事をこなし、正当に稼ぎ、正当に給料を得ていて、それにより経済が周っている。そしてそれによって、自分のような基礎科学研究者が食わせてもらえるだけの社会的な余裕が生み出されている。それについて僕は何一つ否定する権利はないし、感謝しなければならない。にも関わらず、その仕事を「レベルが低い仕事で安定して給料もらいすぎ」と評し、見下したり、比べたりしてしまう自分。とても浅ましくてみじめだ。そんなことは、良く分かっている。
 だけどそれでも比べてしまう。年収240万社会保険無し副業禁止という学振DCの待遇。悔しいけど、どうしても他人比べてしまい、差を感じずにはいられないときがあるのだ。会社を辞めて給料は半分以下に減った。けど別に僕は今の給料を2倍にしてほしいと言っているわけではない。アカデミアは自分では稼げないから、民間より給料が低いのはしょうがないと思う。直接稼いでいる人のほうがたくさんもらえるのは当たり前だ。でもだからといって、そんなに冷や飯を食わされることをやっているのだろうか。基礎研究が、50年先の未来に当たり前になっているものを研究しているかもしれないことは、周期表、重力、電気、遺伝子が発見された当時、何の役に立つか理解されなかったことを考えても想像できるだろう。もし自分の研究への投資意義を説明する機会を頂けるのであれば、僕はどこへ呼ばれたって行って説明・対話する意欲も自信もある。決して遊びのつもりでやっているわけではないし、雇用の保証が無いなか、文字通り命を懸けてやっている。だからせめて、お金のストレスで研究やライフプランに支障が出ないくらいの給料、例えば300万円台前半(20代後半の平均年収)くらいは頂きたい、と思うことはやはり贅沢なのだろうか。休日に研究関連の仕事のお手伝いをやっても、副業禁止規定で給料を受け取れない。そうでなくても、奨学金の返済や、逆公私混同の自腹出張などの研究に絡む出費も多い。毎月ギリギリの家計なので、いつ病気したり、車が壊れたりして、生活が回らなくなるのかも分からない。休日に民間に勤める友人に誘われても、同じようにお金を使って遊ぶことができない。お金が無いから結婚できない人が増えているというけど、最近僕もその気持ちはとても分かる。そして今、税金や保険の支払いなどの出費が立て続けにきて、海外出張の立替もしているせいで、完全に資金が底をついて、会社員時代に長期資産として溜めておいたお金に手を付けなければならなくなった。証券会社に入れておいたお金を引き出すときに、何とも悔しく情けない気持ちになって、「僕がやっていることはそんなに価値が無いことなのだろうか」と自問した。会社にいたときはあんなに楽に沢山稼げていたのに。そしてまだあと1年半以上、どれだけ成果を出しても、今の給料は変わらない。ふと「自分の選択はやっぱりアホだったのだろうか」と、考えないようにしていたことが頭の中に浮かんでくる。
 そしてこうして頭の中で思考が一巡した後、自分を棚に上げて、給料を他人と比較してあーだこーだ言っている自分に再び自己嫌悪する。何百年ものあいだ、金持ちの道楽でしかなかった基礎研究で、給料を貰えるという時代・環境に生まれた時点で、人類史上最高の運の良さに恵まれているのに、僕は何を嘆いているんだ。もっと苦しい経済状況の人たちがたくさんいるなか、毎日十分寝られて、月に額面20万円ももらえるだけで、とても贅沢ではないか。今一流の科学者だって、学生時代は同じように貧乏だったはずだ。僕より業績があるのに給料が低い研究者だっていくらでもいる。会社辞めて起業して成功した人だって、最初の数年は貧乏だったに違いない。自営業の人達だって、研究者以上に命を懸けで仕事をしているはずだ。自分ごときが、この程度の業績で、なにを偉そうなことを言っているのだ。
 そうやって考えて、納得したつもりになりかけたところで、冷静になり、再び、他人との比較でしか自分を動機付けられない自分に自己嫌悪を抱く。自分より楽に生きている人をみて嫉妬し、自分より報われてない人を見て納得する。浅ましい。そしてこうして、悔しさと自己嫌悪との間を行き来し、研究に手がつかない自分に、さらにどうしようも無い自己嫌悪が襲う。何をくだらないことに悩んでいるのだ。やりたい研究が順調に進んでいて、死なないくらいのお金をもらっているのだから、それだけで贅沢すぎるではないか。人と比べようとすることが間違っているのだ。
 だけど、両極端の世界を経験してしまって、知ってしまった以上、もう、比較をせずに生きるというのはとても難しいのだ。最近思うのは、僕は会社員時代の自分の苦労を過小評価しはじめているのかもしれないということだ。お金のことばかり考えすぎて、「楽に稼げるつまらない会社員」と「給料低いが充実している研究者」という2項対立のなかで、後者を選択した自分の姿に納得することに必死になっているのではないか。本当に浅ましくて考えるのも嫌になる。考えないようにしたい。でも、お金が無いフェーズにさしかかると、どうしても不安になって、比較してしまって、考えてしまって、仕事に手がつかなって、苦しい気持ちになる。だから今、これを書いてスッキリしようとしている。
 今思えば、会社員時代だって、僕は年功序列と終身雇用の恩恵に与る働かないオジサマ達と給料を比較して悪態をつく若手社員の一人だった。今の自分から見れば、そんな僕も、新卒採用という、未経験の人間に高給を支払う超絶優遇制度の恩恵に与っているだけの同じ穴のムジナだ。僕は、どこに行っても人と比べてしまう浅ましい人間だということだ。だから、人と比べても何も生まれないし、ろくなことがないということを理性で理解して、感情を抑えつけるしかない。たとえ過去に運よく2倍以上の給料を貰っていた時代があったとしても、それは僕の実力ではないし、たとえ自分よりも明らかにレベルの低い人が給料をたくさんもらっていることを知っていたとしても、それは何の関係もない。今僕がこの給料でしか働けないのは、今の僕に実績が無いからに他ならず、自分の手でこの状況を打開できないのであれば、何のせいにもできない。だから、ちょっと、出費が重なったタイミングで懐が苦しくなって、深く考えすぎただけだということにする。そして、自分の研究で世間が鳥肌を立てる日を夢見ながら、研究で人並みに給料が頂ける日を期待しながら、引き続き頑張ることにする。さて、今度こそ抜け出した。仕事に戻ろう。