誠意は正義だ

 一年くらい前に比べて、物事を深く考えなくなったなぁと感じる。以前は一つ一つの出来事に対して、もっと根本の根本まで追究して考えないと気が済まなかったのに、最近は「考えてもしょうがない」という気分になってすぐ思考を放棄してしまう。言い換えると、考え方がとても決定論的になってきている。理由としては、研究が単純作業化してきて結果待ちの状態になってきたことと、就職活動で将来を運に振り回される日が続いていることがあると思う。だが、運命を運命と決めつけているのも自分だ。「運命だから思考放棄している」なのではなくて、「思考放棄しているから思考放棄している」というのが現実なのではないだろうか。
 その一方で、一年前に比べて、詭弁が格段に上手くなったと感じる。自分が深く追究しきれていないことでも、後付けの説明を上手につけて、相手を納得させようとしてしまう癖がつきつつあるし、実際納得させてしまう。「ものは言いようだ」ということに気づき始めたときから、「自分もそうなってしまうかもしれない」というのは懸念していたことだ。詭弁で短期的な効率を上げたって、長期的に見れば必ずボロが出る。これは僕を落胆させてきた反面教師たちが教えてくれたことだ。

 こんなはずではないはずだ。いつの間にか、自分が嫌っていた「適当な人間」に自分がなってしまった。もう一度原点に立ち戻って、「真面目な人間」として生きていこうと思う。

  • シンプルかつ深く、考え続ける
  • 人の詭弁は見抜くが、自分は詭弁を使わない。

外資コンサル四次面接で落ちた。4回もコンタクトがあると、親近感も沸く。ショックだ。就活は非情だ。そういうわけで、自己啓発したい気分になったのでした。