文化的超回復

 実家で暇死しそうになったので区のスポーツセンターへ筋トレに行った。
やっぱ清潔感って大事だ。っていうかこれが普通。
今日行った場所がファミレスくらいの感覚なら、
あの不潔極まりない雰囲気の体育館は、スポ館でGに囲まれながら食うまっずい朝飯に相当するな。
スポセンは平日の夕方なのにやたら賑わっていた。
目立つのが老人。必死に体を動かしている老人達を見ると、
これからも定期的に運動しようという気にさせられる。
それでもここにいるのはかなり高等な老人たちなんだろうと思った。
普通ならヨボヨボになってここにくるまでが一大事な感じの歳に見える人もいた。
他にも近所の部活の高校生っぽい群れ、立ち話とマッサージマシンに明け暮れるおばさま方、
もはや筋トレすること自体が目的っぽいキントレヲタ達、やたらスレンダーで高身長の白人美女、
会社帰りっぽいおっさんなどなど、色んな人種が個々の世界で戦っていた。とても異様な空間だ。
僕もそんなピープルに混ざって黙々と筋トレした。
体育館には無いマシンもあって、挑戦したものの、
途中で使い方を豪快にミスっていることをスタッフのおねーさんに指摘される。だっさ。
さすがに脚系のマシンは人よりも大分強い負荷でもいけた。
というかマシンがショボくて、MAXでもあがるんで、
しょーもない無い勝利と優越感を味わうことができた。しょーもな!!


 帰り道はなんか凄くいい気分だった。
自習室なり、筋トレなり、自分だけの世界に篭ったあとに外の世界に出るとすごく心地が良い。
「ああ、あの間も世界は動いてたんだ」という気分になる。
そんなしょうもない感慨に浸りながら、夕暮れの河口沿い、
空気の抜けた親のママチャリを、不慣れなポジションで、乳酸麻酔にかかった脚で漕ぐ。
京都と違って川幅がとても広く、海も見えるので開放感がある。
実家の近辺は埋め立てが済んで、過激な開発が進んでいる真っ最中。
昔釣りをしていた海には高層マンションが林立して、
半径1キロ以内にホームセンターが3つ、ジャスコが2つ、回転すしが3つ。
スーパーなんか数え切れんし、でかい電気屋も本屋もあるし、
今は高速の高架が建設中という有様。どうかんがえてもやりすぎ。
休日になると家の前の大きな道路は大渋滞で大迷惑。はやく液状化で全滅しろや。
帰り道でもあるその道路の両側は、一昔前は木材が積まれたりしていて港の雰囲気を出していたが、
今は高い建物に囲まれて、そこだけ見ると大都市の中心街な雰囲気。
けど、少し遠くに目をやると、開発中の空き地や、海や川のおかげで人工物の全くない空間もあって、
こんだけ発展してるのに街の重苦しい雰囲気が全くない。
シムシティでも空き地を織り交ぜて街造ると見た目がかなりスッキリする。
もしかすると、この開放感が無いのが僕が京都を狭苦しく感じる原因なのかもしれん。
将来は海のある場所に住みたい。鴨川の幅がもう5倍くらい広くなれば京都でもいいけど。


久々に筋トレしてわかったこと、
それは筋トレはどこでやろうがいつやろうがやっぱりつまらんということだった。
帰って家で一枚1300円のステーキを焼いて、超回復に備えた。文化的な筋肉がつくに違いない。